誰もほしくない

 バタン、乱暴な音を立てて部室のドアが閉まる。緑間が後ろ手で閉めたのだ。
「高尾……!」
 普段の冷静さをかなぐり捨てた、余裕のない声音。見上げた顔や高尾の腕を掴む手の強さにも同じ激情が宿っていて、ぐらぐらと全身が沸騰するような錯覚をおぼえる。だめだ。こんな顔で、こんな声で、名前を呼ばないでほしい。その熱は溶かしてしまう。高尾が一生懸命塗り固めてきた嘘も、心の奥底に閉じ込めた気持ちの封も、顔に貼り付けた作り笑いも、全部。
「みど、りま」
 ちがうんだよ、さっきのは冗談。全部真ちゃんの思い過ごし。本気にした? ウケる。そう言って全部笑い飛ばしたいのに、唇から転がり落ちたのは自分でもはっきりとわかるくらいにふるえた声だった。
「高尾」
 そうなんだな? と燃えるような緑が問いかけてくる。ちがう、と高尾は首を振った。ただ、友人同士でたわいない会話をしていただけだったのに、途中で何かがおかしくなった。軽くかわせるはずだった。いつもそうやってきた。自分の心の声はうんと深くに沈めて、おもしろがるフリをして。深い意味などまったくない言葉を並べて。緑間の友人であることを疑わない態度をとることなど、造作もないことのはずなのに、どうして今日はうまくできなかったのだろう。
「何がちがうのだよ」
 高尾のしぐさを、緑間は正しく読み取る。いつもは何も気がつかずに自分の尽くすべき人事ばかり見据えているくせに。にわかに腹が立ってくる。何も知らないくせに、高尾の気持ちなど本当に何ひとつわかっていないくせに、なぜこんなふうに暴かれなければならないのだろう。高尾の気持ちは高尾のものだ。たとえ緑間にだって、自由にできる権利なんてない。そうだろう?
「オレがどこかの女子に告白された。それでおまえが泣きそうな顔をした。理由などひとつしかないと思うが?」
 緑間の声は揺るぎなくまっすぐで、高尾の感情を無遠慮に揺さぶってくる。まるで高尾の心は自分のものだと言わんばかりに。その傲慢さに腹が立つ。だって、本当は――そのとおりだから。
「まさかあの女子のことが好きだなどと、くだらん言い逃れをするつもりではないだろうな。言うのだよ、高尾。おまえはオレのことを」
 ああそうだよ、文句あるか。もう黙れよ。追い詰められた感情が爆発して高尾を粉々にした。衝動のままに緑間の胸ぐらを掴んで引き寄せ、乱暴に唇を重ねる。
 ふれた唇は熱くて甘く、背骨がふるえる。砕け散った思考能力と理性が、本当にそれでいいのか、後悔しないのか、そんな言葉を残して消えていくのを目蓋の裏側で見送った。
「……緑間」
 真ちゃん。緑間真太郎。オレの、オレたちの、唯一で絶対のエース様。
 名前を呼んで返ってきたのは、苦しいくらいの抱擁とキスだった。唇同士で互いをまさぐりあい、ああ、と高尾は目を伏せる。もうかくせない。逃げられない。
 生徒たちの笑い声が遠く聞こえる。けれど口づけは止まず、ふたりでもつれあうようにして床に座り込んだ。誰も何も、ほしくない。こいつの他は、何も。

 

 


2020.11.24
ブーストお礼