苺ラブストーリー

「よう! オレ、タカオってんだ、よろしくな!」
「……………ああ」
 そう返事ができただけでも称賛に値する、と緑間は思った。
 目の前に親指くらいのサイズの生き物がいて、ふよふよと浮遊している。そればかりか、屈託のない笑顔を緑間に投げかけている。
 なんだこれは。何十回目かの疑問が浮かぶが、答えはない。いや、答えはある。最初から。だけどそれをすんなり飲みこめないから、緑間の脳裏には同じ問いばかり浮かぶのだった。
「オマエは? 名前、なんていうの?」
「緑間、真太郎だ」
「みどりま……しんたろう……しんちゃんだな!」
 だからどうしてそうなる。思わず頭を抱えるが、謎の生命体は緑間の様子に構うことなく楽しそうにビニールハウスの中を飛び回る。
「ともだち、ふえた!」
 ともだち。
 絶妙に微妙な気持ちで、緑間はその生き物がくるくる舞うのを眺めるほかなかった。
 
「苺の妖精の面倒をみてほしい」――緑間の通う農業大学の先輩である木村にそう言われたときは冗談というか、比喩だと思った。普通そうだろう。言葉どおりに受け取る者などまずいない。緑間の常識ではそうだった。
 しかし。実際に木村のもとに行ってビニールハウスに入り、緑間は己の認識が誤っていたことを知った。本当に、妖精のような生き物がいたのだ。
「こいつがさ、苺の生育をつかさどってんだ」
「……はあ」
「こいつの精神状態が苺の味を左右する。悲しいと苺がすっぱくなるし、幸せだと甘くなる」
「…………はあ」
「お、信じてねーな? でもマジでそうなんだ。苺農家ならみんな知ってる。公然の秘密ってやつだ」
 そう言われたって、はいそうですかとうなずけるわけがない。だけど実際に妖精っぽい謎の生き物がひらひらしているし、木村の目はどう見ても冗談を言っているようには見えない。目の前にある事実と常識にはさまれて頭がくらくらする。
「で、おまえに頼みたいのはこいつの世話なんだ。ウチの苺、毎年そこそこうまいんだけど、なんかいまひとつ足りねーんだよな。可もなく不可もなくって感じで……。で、おまえの出番ってわけだ」
「なぜオレが」
「オレの勘。おまえ、こいつと気が合うと思う」
 どうして。なぜ。オレとこの謎の生き物のどこに共通点があるというのだよ。
 胸ぐらつかんで問いただしたいところだったが、先輩への恩義と尊敬の念がそれを思いとどまらせた。木村が在学中のときは非常にお世話になったのだ。その恩返しにきたのだから、あれこれ文句を言ってもしかたがない。緑間真太郎、男を見せるときだ。
 
 そんなこんなでタカオと名乗る苺の妖精らしき生命体のお世話をすることになった緑間だったが、世話といってもたいしてやることはなかった。苺そのものに水や肥料をやったり温度調節するのは木村の仕事だし、タカオは基本的に自分のことは自分でできるらしい。緑間のすることは、タカオの話し相手になることくらいだ。
「しーんちゃん、おはよっ」
「……ああ」
 だが緑間は多弁なほうではないし、そもそもこの生き物相手に何を話せばいいかわからない。結局いつも話を聞くだけで一日が終わるのだが、それでもタカオはうれしそうににこにこしている。
(本当に、変な生き物なのだよ)
 タカオは、苺のへたのような緑の帽子をかぶり、ひらひらした袖のついた緑の上着と赤い半ズボンを履いている。見た目だけなら確かに苺の妖精といえないこともない。
「なあ真ちゃん! そろそろオレの苺が実る時期だぜ」
「そうだな」
 タカオはいつも笑顔で楽しそうだ。これならオレが相手をせずとも苺はきちんと甘くなるのではないか、などと思っていると、タカオがぴたりと空中で動きを止めた。
「どうした」
「――オレ、今年はきちんと甘くできるかな」
 初めて聞く響きの声に、緑間も足を止める。左の手のひらをさしだすと、ゆっくりタカオはそこに着地した。ちんまりと正座して、緑間をまっすぐ見上げる目にはまぎれもない不安が揺れている。
「木村さんも、大坪さんも、宮地さんも、オレにすっごくよくしてくれんだ。それも、真ちゃんが来てくれんのも、全部、苺の味のためってわかってる。だから、オレ、絶対……」
 いつもきらきらにぎやかなオレンジの瞳からぽろりと涙がこぼれるのを見て、緑間はあわてた。
「泣くな。おまえが不安になってもいいことは何もないのだよ」
「うん……」
「心配はいらん。オレは人事を尽くす。必ず、おまえを幸せにするのだよ」
 タカオが目をぱちりとさせる。そして次の瞬間、にっこり笑った。
「……ありがと、真ちゃん!」
 その瞬間、緑間の心臓が大きく高鳴った。いままで経験したことのないような甘い疼きが全身を満たす。
(……なんだ、これは)
 たったいま花開いた感情の名を、緑間はまだ知らない。

 

 

 


2019.1.27
『エース様のとっておき』無配