昼休み、誰もいない階段で。

 その日、真ちゃんの左手には青いじょうろ、右手には紙袋があった。
 左手のはラッキーアイテムだ。おは朝を見たからまちがいない。今日の蟹座は3位、ラッキーアイテムはじょうろでラッキーカラーは青。さすがというか当然というべきか、ばっちりぬかりないチョイスだ。だけど右手にあるものは。
 ひょいとさりげなく袋の中をのぞきこむ。中に入っていたのは、丁寧にラッピングされた小さな包み、複数。
 やっぱりな。わかっていたけれど現物を見るとへこむ。もともと最近低飛行ぎみのテンションがさらにがくんと落ちるのはもう、どうしようもなかった。

 そもそもの発端は、オレが真ちゃんに「モテたい」なんて言っちゃったことだった。
 あのどっかズレたエース様は、上目づかいをするといいらしいなんて的外れもいいとこのアドバイスをオレにくれて、さらに何を考えているんだか知らねーけど「オレで練習しろ」なんて言い出しやがった。
 ほんと、真ちゃんってバスケに関する洞察は鋭いし成績だって超いいのに、バカだよな。オレが上目づかいしてどうするんだっつーの。キモいだけだっつーの。誰もそれ見てグッときたりしないっつーの。だいたい、オレがグッときてほしいのは真ちゃんだけだっつーの。それに気づいていないところが、いちばんバカだ。
 結局、ワガママなうえに超頑固な真ちゃんの押しに負けて、上目づかいをしてみたけど見事失敗。いや、たぶんいつものオレだったら上目づかいぐらいできたはずだ。それができなかったのは、やっぱ緊張したからなんだろう(ダセえ話だけど)。
 ともかく、そんな羞恥プレイかまされて不覚にも混乱したオレは、うっかり真ちゃんが好きだと口走ってしまった。正確には、「オレで練習しろ」とか言ってきやがったあいつに「お前が本番だ」って言ってしまった。遠まわしだけど、好きだと言ってしまったことにまちがいない。ホントに最悪だ。こんなはずじゃなかったのに。
 わかってる。モテたいとか言ったのが不用意だった。オレが悪い。
 だけどあのとき、オレはどうしても真ちゃんからチョコをもらいたかった。バレンタイン前なのに色恋沙汰に縁がないのはつまらないと騒いでいれば、「ああうるさい、モテたいだのなんだのくだらない。チョコならくれてやるから黙るのだよ」とか言ってもらえると踏んでいたのだ。まー見事に大失敗でしたけど! そもそも真ちゃんがそんなこと言うわけなかったんだけど! はい、オレがどうかしてました。
 それでどうなったかっつーと、オレは盛大な自爆に逃げ出して、真ちゃんはそんなオレを追いかけてきた。そんでひとこと。
「上目づかいは悪くないかもしれん。だが他でやるなよ」。そんなんわかってるっつーの。まちがったってやらねーよ。
 
 そんなこんなで、オレの目論見は全部台無しのままバレンタインは過ぎた。結局真ちゃんからチョコをもらうのはおろか、オレからチョコ渡して告白――なんてのもできなかった。女子じゃねーんだし、そもそもそんなことする気はなかったんだけど、最大の問題は。
 ……あー、もうやだ。朝っぱらからこんなこと考えるなんてホント、ダッセえ。
 憂鬱な思考を締め出して、めずらしく教室を動き回っている真ちゃんを見やる。憂鬱な気分がさらに憂鬱になっただけだった。なぜならやつが、クラスの女の子に紙袋の中身を渡して歩いているからだ。
 3月13日、ホワイトデー前日の金曜日。この日に男子が女子に渡すものなんかひとつしかない。忌々しいことに。
 オレのじりじりした気持ちになんか全然気づかない、にぶくてバカで愛しい真ちゃんが席に戻ってくる。座りながらため息をついたのが「やれやれ」って感じだったので、オレのテンションはほんのすこしだけ上昇した。不自然にならないようにいつもの笑顔をはりつけて、軽くて明るい感じの声を出す。
「おつかれ! モテ男くんは大変だな」
「うるさい」
 真ちゃんとの軽口を楽しんでいたら、机の脇にかけられた紙袋にまだ包みがいくつも残っているのが見えてしまった。ちくしょう鷹の目め。またテンションは急降下。忙しないったらねーな。
「ソレ、まだ配んの?」
「……マネージャーと、他のクラスの女子と、あと上級生にもらったぶんがある」
「うへ、マジいくつもらったんだよ。全部にお返し渡す気?」
「当然だろう。もらった以上、返すのは礼儀なのだよ」
 きまじめにそう答えるメガネの奥の瞳はやっぱりきまじめな色で。そういう融通きかないっていうか、律儀なトコ好きだけどさぁ。そもそも真ちゃんに嫌いなトコなんかねーけど。自分でもどうかってくらい溺れちゃっててキモいけど、それも悪くないって思っちゃってるからもう末期だ。笑うしかない。
「でもさー、そんなことして本気になっちゃう女の子増やしてどーすんの?」
 真ちゃんはオレをちらりと見て、心底バカにしたように鼻を鳴らした。
「バカめ。……ああそうだ高尾、今日はこれを渡すのに時間がかかりそうだ。昼はひとりで食え」
「えっ! 昼休みもそのお礼行脚する気!?」
「放課後まで持ち越すと部活に響くだろう」
「……あーソーデスカー」
 マジで最悪だ。チョコをもらってる真ちゃんを見んのもスゲー最悪だったけど、せっせとお返しを渡す真ちゃんを見るのはもっと最悪だ。おまけに昼一緒にいられないとか、最悪に最悪の上塗りだ。ドス黒い気持ちがまんべんなく心の中を塗りつぶして、おまけにガツガツ蹴り入れられてる感じ。
 真ちゃんは礼儀だって言ってるけど、たぶんホントにそうなんだろうけど、そっから恋に発展しちゃうことだって十分あるわけで。そのへんわかってんの? エース様。
「お前は」
「え」
「お前は渡さないのか」
「あー、お返し? 渡すよ?」
 まぁオレだっていくつかチョコはもらったけど、そのお返しはスゲー適当だ。真ちゃんみたいにどっかの有名な店で買ったちゃんとしたやつじゃない、明らかに義理だってわかるヤツ。そもそも、本命っぽいのとか告白は全部バレンタインの日に断ってる。
「どんな物なのだよ」
「ぶはっ、なにオレのお返し気になっちゃうの? 別にたいしたもんじゃねーよ、ほら」
 カバンから袋を取り出して真ちゃんの目の前でがさがさ振ってみせる。近所のスーパーで買った、小さいチョコがいっぱい入ったお徳用のやつだ。これを2、3個渡して終わらせる予定。
「……そうか」
 眉をひそめてそれだけ言うと、真ちゃんは文庫本を開いた。あれ、なんか機嫌悪くなった? お返しには人事を尽くすのだよってか? 冗談じゃねぇ。これはオレなりの人事だ。ホワイトデーのお返しがこれなら、まちがっても相手のコに勘違いなんかさせねーだろ? やけに立派な真ちゃんのお返しとは違うんだっつの!
 やりきれない気持ちが喉から出てきてしまいそうになって、オレは前を向いて机に突っ伏した。あー、真ちゃんからお返しもらうとか、うらやましすぎて死ねそう。オレはもらえないのに、そのへんの女のコはもらえるの理不尽じゃね? いや渡してないから当然なんだけど。やっぱオレも渡すべきだった? いやでもこの状況で渡すとかねーわ。
 ついにオレはため息をもらす。そう、最大の問題は、だ。オレのぶちかました告白に真ちゃんがなんのリアクションも返してきてないってことだ。
 つまりオレの告白は保留状態なわけで。その状態でチョコ渡すとか、どんだけ度胸が必要なんだよって話だろ。無理だって。
 告白の返事がほしい。そう言えりゃいいんだけど、言うだけの勇気がなくて1カ月以上、オレはこうやってうじうじもやもやじたばたしている。
 あーやだやだ、ホントやだ、こんな自分。みっともなさすぎて笑えねぇ。
 心臓から黒いなにかを吐き出しそうになっているオレの後ろで、このとき真ちゃんもため息をついていたことに、オレは気づかなかった。
 
 真ちゃんのいない憂鬱な昼食を終え、体育館の地下倉庫に続く階段で盛大に脱力する。薄暗いし微妙にかび臭いここは、普段絶対に人が来ない。ひとりになりたいときにうってつけの場所だった。
 携帯を開いて、あと15分ほどで昼休みが終わるのを確認する。ついでにメールが着ていたことに気づいたけど無視することにした。オレは今、誰かと交流を図りたい気分じゃねえ。
 今日1日最悪な気分のまま過ごしてきたけど、いい加減切り替えなくちゃいけない。このあとの部活に支障を出すわけにはいかねーし、このじめじめしたテンションを引きずるのにもいい加減飽き飽きだ。
 しっかりしろオレ。オレの気持ちを知っても真ちゃんは変わらずそばにいてくれてる。行きも帰りも一緒だし、昼だって一緒だし、オレの話も一応聞いてくれてるし、コートでの連携は完璧だ。なにひとつ変わってない。返事なんてなくったって、いいじゃないか。最悪拒絶されて嫌われる可能性だってじゅうぶんあったんだ。それを思えば、返事がないくらい、全然どうってことない。そうだろ、高尾和成?
 ずっと自分に言い聞かせてきたことをもう一度くりかえす。なかなか胸に浸透しねーけど、あと何百回かやればそのうちなじむはずだ。そうでないと困る。
 このままいい相棒でいよう。それがたぶん最善で、正しくて、幸せな道だ。
 だけど、最善でも正しくもないこの気持ちは、どこにいきゃいいんだろうな。
 こんなに、大事なのに。
 
「高尾」
 
「ぅぇ!?」
 背後から降ってきた声にびっくりして飛び上がる。ふりむくと紙袋とじょうろを持った真ちゃんが立っていた。
「真ちゃん、あれ、なんで?」
「気づかないとは、お前らしくないな」
「あー、眠くってぼんやりしてたわ」
 はは、と笑う声は我ながら力がない。そんなことには素知らぬ顔で真ちゃんはオレの隣に座ったけど、その動作がいつもよりちょっと乱暴だった。どうやら相変わらず、ややご機嫌ナナメらしい。
「……探したのだよ。なんだってこんなところにいる」
「んー、なんとなく? っつか、よくわかったな」
「メールの返事くらいするのだよ」
「え、あれ真ちゃんからだったの?」
 オレの返答に、真ちゃんの機嫌がまた傾いたのがわかる。メールに気づいていたのなら、差出人くらい確認しろって言いたいんだろう。
 だけど、それを上向かせてやろうという気持ちになれない。機嫌ならオレのほうが最悪だ。ここ1カ月以上、お前のせいでずーっと最悪だ。
「お前はなぜそんなに機嫌が悪い」
 胸の内をびしりと当てられて、不覚にもちょっと動揺する。真ちゃんの物言いはいつも直球で遠慮がない。ぜんぶ見透かすようなまっすぐな視線に胸がずきんと痛む。そういうふうに見られるの、ホント困る。よけい好きになっちゃうだろ。
「……そんなこたねーよ。真ちゃんこそなんか機嫌悪くね? お返し渡しまくって疲れちゃった?」
 返ってきたのは盛大なため息。それがずいぶん疲れたような色をしてて、真ちゃんの機嫌の悪さは思ったより深刻なのかもという考えに初めて行きつく。
「……オレが今日渡していたのはクッキーなのだよ」
「そーなの?」
 でもだからなに? 首をかしげると、真ちゃんがもういっこ不機嫌そうにため息をついた。
「え、なんなの? なんかスゲーバカにされてない? オレ」
「バカなのだから仕方ないだろう」
「ひどくね!?」
「ホワイトデーにクッキーを渡す意味を知らんのか」
 真顔で返されて、オレはさらに首をかしげる。ホワイトデーのお返しとしては定番のお菓子だなと思う。そんだけだ。
「クッキーに意味とかあんの? ……やめろよその、うわーバカだこいつーって顔すんの。ソレ世間の常識なわけ?」
 こっちもちょっと不機嫌なニュアンスで答えると、真ちゃんは心底やれやれという表情で口を開いた。
「クッキーは、あなたは友だちですという意味だ。ちなみにマシュマロはあなたが嫌い、反対にキャンディは……あなたが好き、という意味がある」
「へえ」
 全然知らなかった。純粋に感心しながらうっかりマシュマロやキャンディをあげなくてよかったなとか考えていると、真ちゃんがさらに顔を険しくする。だから、さっきからなんなのホント。
「なあ、なんでそんな怒ってんの? お返しの意味知らないってそんな問題だった?」
「……オレは」
 腹の底から絞り出したみたいな声。暗くて見えづらいけど、それでも確かに真ちゃんの耳が赤くなっていることに、このときオレはようやく気づいた。
 
「お前にチョコレートをもらったら、キャンディを返そうと思っていた」
 
 言葉の内容がのみこめず、オレは固まる。……オレがチョコを渡したら? キャンディを?
「なのにお前はいつまでたってもオレにチョコレートをよこさない。そればかりか、他の女子にはチョコレートを渡している。理不尽極まりないのだよ……!」
 心臓が止まったんじゃないかってくらい全身が動かない。怒ったように口を引き結んでいる真ちゃんを凝視するけど、真ちゃんはこっちを見ようとしない。
 不機嫌の理由ってソレ? っていうか、ちょっと待ってほしい。確認したいことが洪水のように押し寄せてきて、頭がうまく回らない。
 さっきキャンディは好きって意味だって言わなかった?
 オレの聞き間違い?
 それをオレに渡すつもりって、それ、意味ひとつしか思いつかねーんだけど。
 勘違いするから、わかりにくいのやめてくれよ。今、適切な翻訳できる自信ねぇ。
 浮かんだ言葉をうまくまとめられず、バカみたいに口をぱくぱくさせてようやく出たオレの声は掠れていた。
「どういう、こと?」
 真ちゃんは怪訝な顔をした。
「お前はオレが好きなのだろう?」
 これまた直球だ。もしかして伝わってねーかもってちょっとだけ思ってたけど、あのときのオレの告白はきちんと届いていたらしい。
「え、いや、うん、そうだけど」
「ならば、なぜチョコレートをよこさなかった」
「だって……返事、聞いてねぇし。そんな状況で渡せるかよ」
 返事、とつぶやいて真ちゃんは首をかしげた。憎らしいことに、実に素直な動きだった。
「しただろう」
「は、ええええええ!?」
 衝撃的な発言だ。エース様のぶっ飛び発言には慣れてるつもりだったけど、これはケタが違いすぎる。思わず階段からズリ落ちそうになってしまったオレの腕を、真ちゃんが掴んだ。
「なにをしている、危ないのだよ」
「へ、返事っ!?」
「なんだ」
「返事、いつ? オレ、聞いてない」
 驚きすぎてうまくしゃべれない。珍妙になってしまったオレの訴えに、真ちゃんは大まじめに答えた。
「オレ以外に上目づかいをするなと言っただろう」
「へ」
「それがどういう意味かわからないのか、バカめ」
「いや、あんとき他でやるなよっつったろ、お前」
「同じことだろう」
 エース様はふんぞりかえってそう主張する。
 オレはもうぐうの音も出ない。心臓に穴があいて、そこからいろんなもんが勢いよく飛び出しているような心地だった。空気が抜けていく風船みたいな気持ちになりながら、なんとか言葉を返す。
「いや、全然ちげーから……」
「お前がモテるのは、オレにだけでいい」
 ダメ押しのひとことに、ぐうと喉が鳴る。真ちゃんが真顔でこっちを見ていた。冗談なんかじゃない、本気の発言なんだってことを痛いくらい伝えてくる顔だ。それを見て、オレはすこし冷静になる。
 真ちゃんがそういう気持ちで言ったというなら、それ以外の意味なんてない。そう思うとじわりと胸底からわいてくる感情があった。熱くて、しびれるみたいになって、鼻がツンとするやつだ。
 真ちゃん、オレのこと好きだったんだ。そんで両想いのつもりでいたんだ。オレからのチョコ、待ってたんだ。
 ……なんだよ、そんな空気今まで一回だって出してこなかったくせに。なんでいきなりそんなデレてきてんの? わけわかんねぇ。
「もっとわかりやすく言ってくれよ……」
「お前だってわかりにくかったのだよ、本番だとか練習だとか。ぐだぐだせず、好きなら好きと言え」
 カッと顔が熱くなる。これはうれしいとか恥ずかしいとかそういうんじゃない。ただの純粋な怒りだ。お前にだけは言われたくない。本ッ気で言われたくない!
 ずっとずっと悩みに悩んでいたオレはなんだったの。マジで。悩み損だったってーの? バカみてぇじゃん。
 無性に腹が立つ。翻弄されているのが、すっげー悔しい。その感情のままに、真ちゃんの胸倉をつかむ。ぶん殴ってやろうかなという考えが頭をよぎったけど、あっけにとられた顔をしている真ちゃんを見たらおかしくなってきてしまった。
 口が自然に笑いの形になる。やられっぱなしでいてたまるかっつーの。真ちゃんだって、すこしはオレにふりまわされろ。
 胸倉をつかんだまま、空いてるほうの手で真ちゃんの後ろ頭を抑えこむ。黒いメガネの奥にある、丸くなった緑の瞳と長いまつげを見つめながら薄くひらいた唇に自分の唇を押しつけた。
 やわらかくて、あたたかい。その感触を唇でたしかめてから、もう一度くちづけた。自分の唇が震えてるのに気づいちゃったけど、それは無視しとこう。カッコ悪いのはしかたない。ファーストキスなんてこんなもんだろ。
「……これなら、にぶい真ちゃんにもわかりやすいっしょ」
 せいいっぱいの虚勢を吐いて、まだびっくりしている様子の間抜け面にデコピンをくらわすことでオレはささやかな復讐を果たす。
「チョコよりいいもんやったんだから、トーゼンお返しくれるよな?」
 にやりと笑ってやると、真ちゃんの目がきらりと光った。
「あたりまえだ。それが礼儀なのだよ」
 ちぇ、立ち直りの早いやつ。そんでもってオレと同じくらい負けず嫌いときている。その証拠に、真ちゃんの指がオレの頬にふれて反撃するぜってな気概がびしびし伝わってくる。
 そんなトコももちろん好きだぜ……なんて、言ってやる気はないけど。この先も、絶対オレから好きだなんて言わねーかんな! 絶対オレのほうが好きだけど!
 心のなかでそんな宣言をしながら、目を閉じてオレは待つ。
 キャンディよりも甘く残るはずの、やわらかくてあたたかい、世界にひとつだけのお返しを。
 

 
 

 
 

 
 


2015.3.18