夜明けの訪問者

「甘えろ」
 開口一番、真ちゃんが言ったのはそれだった。
 えーっと。まだ起きたばっかの頭をなんとか回転させて、真ちゃん翻訳機を立ち上げる。大丈夫、真ちゃんは電波だとかなんとか言われてるけど、ホントはそんなことない。よーく意味を考えて、真ちゃんの性格を考慮すれば、答えはけっこう簡単に出てくるのだ。
「……ごめん、なんつった?」
 たっぷり二十秒考えて、オレは白旗を揚げた。だって意味がわかんねえ。つうかオレ聞き間違えた? 甘えろ、じゃなくって、甘いものが食べたい、だった?
「甘えろ、と言ったのだよ」
 聞き間違えじゃなかった。なんだそれ。
 まだあちこち寝ぐせがついてる頭を抱えても、答えは出てきそうにない。そりゃそうだ。こんな平日の朝早く、というか朝日がようやく見えるか見えないかくらいの時間帯にいきなりやってきておはようの挨拶もなく甘えろとふんぞりかえっている彼氏の思考回路なんて、いくらオレにでも……あ!
「おは朝!」
「ちがうのだよバカめ」
 なんでもすぐおは朝のせいにするな、と言われて釈然としない気持ちになる。高校時代のおまえの奇行だいたいおは朝のせいだったろ。それにつきあってたのオレだろ。今はちがう大学に通ってるしオレはひとりぐらしはじめたから、まあ、あのときのようにはつきあってやれてねえけど。
「あー……わりぃ。オレ、昨日レジュメ提出と発表でさ。わりと徹夜してたっつうか、とにかく寝てねえんだわ」
「それなのだよ」
 鬼の首を取ったようなドヤ顔で、真ちゃんは勝手にあがりこんできた。あつかましいふるまいをしてるくせに、脱いだ靴をきちんと揃えるとこがアンバランスで、ツッコむ気力が失せてしまう。こういうとこがずりぃんだよなぁ。
 オレがひとりで悔しがっているあいだにも、真ちゃんは廊下をずんずん進んでいく。あわててジャケットの裾を掴んで歩みを止めさせる。
「なんだ」
「いや~真ちゃん、いくらつきあってても部屋に勝手に入るのはナシっつうか、親しき中にも礼儀ありっつうか」
「おまえは大学の授業が忙しい。そしてバイトもしている」
「……それが?」
「ここのところレポートの提出が続き、バイトも緊急でシフトを入れられていた。そのうえ教授の手伝いとやらもしていたな」
 殺人事件の証拠を次々並べ立てる探偵のような口調でオレの近況を言いながら、真ちゃんはオレの手を掴み、ジャケットから引きはがしてしまう。そしてすたすた歩いて部屋のドアを開けてしまった。
 眼前に広がるのは、お世辞にも綺麗とは言い難い部屋だ。ベッドはぐちゃぐちゃで脱いだ服や靴下やタオルなんかがそこらじゅうに散らばってて、テーブルの上にはノートパソコンとカップラーメンの容器にペットボトルに栄養剤にカロリーメイトの箱。床にはレポート用紙と教科書が敷き詰められているし、極めつけは部屋の隅に積んであるゴミ袋だ。数日……いや数週間片づけなんてしてないのがバレバレ。終わった。
「あー……えっと……ちょーっとだけ忙しかったつうか……まあ生ゴミはないからセーフ! っていうか……」
 くっそ、なんでよりによって今日来んだよ。明日だったら、もうちょっとマシな部屋になってたはずなのに。たぶん。きっと。
「だと思ったのだよ」
 オレの予想に反して、真ちゃんの声は優しかった。あれ、だらしがないのだよとか人事を尽くしてないのだよとか言わねーの?
「なぜオレに言わない」
「え?」
「忙しくて片づけるヒマもないのなら、どうしてオレに言わないのだよ」
 なんで? なんで真ちゃんに言うの? こんなみっともねー部屋見せれるわけねえだろ。
「だからおまえはダメなのだよ」
 フフンとオレをせせら笑ってから、真ちゃんはベッドの上に乗っかっていた布団以外の余計なものを全部床に落とした。豪快すぎる片づけにぽかんとしていたら抱きあげられて驚く。
「ちょ、おい! なんなんだよマジで!」
 返事はなく、オレはどすんとベッドに投げられた。ばさりと布団をかけられ、「寝ろ」と命令される。
「……は?」
「寝ろと言ったのだよ」
「いや起こしたのおまえだかんな?」
「まず寝ろ。そして起きたら朝食を食べろ。そのあと風呂に入って大学に行け。授業が終わるまでオレは部屋を片付けていてやる。そのあとはどこかで夕飯を食べさせてやるのだよ」
「へ、あの」
「いいから言うことを聞け。まったく、おまえはオレの世話を焼きたがるくせに自分の面倒となるとからきしだな。本当に、甘えるのが下手なのだよ。オレの方がずっとうまい」
 いい機会だから甘え方を教えてやる。黒いメガネのブリッジを押し上げて、真ちゃんはそんなことを言った。
「……うへへ、なんだよそれ。自慢になってねーっつの」
「うるさい。とにかく寝るのだよ。七時に起こしてやる」
 でかい手に頭をぽんぽんと叩かれたら、なんだか全身がふわふわしてきた。自然とまぶたが落ちてきて、なんともいえない良い気持ちでオレは目を閉じた。

 

 


2017.11.21
高尾くんお誕生日おめでとうSSらしい