今宵も夢中-2

 運命に出会ったと、そのとき思った。  
 夜空に輝くネオンと行き交うたくさんの人々。いつもの繁華街は変わり映えせず、煌々とした光の裏ではいくつもの欲望が渦巻いている。  
 金に酒、セックスに権力欲。香水よりも強力な欲望の香りにむせかえりそうなこの街を、高尾は嫌いではなかった。もともと人間が好きなのだ。普段、日の光のもとでは隠している本音がこの街では容赦なく暴かれる。その瞬間はとてもスリリングで、他では味わえない興奮を与えてくれる。バニーボーイなどという、親にはちょっと言えない職業に就いたのは、その興奮にやみつきになってしまったからだった。  
 だけど最近、ちょっと飽きてきている。すました顔の客を酔わせ、本性を引き摺り出して遊ぶことにも、下卑た表情で寄ってくる男たちをのらりくらりとかわすことにも。  
 そんなとき、彼に出会った。  
 出会ったというより、見かけたという表現のほうが正しい。そこここにあるけばけばしい色と光を放つネオンにも、派手な化粧とドレスで武装して通行人の品定めする女にもいっさい興味を示さずに姿勢よく歩く男の姿に、高尾の目は釘付けになった。

 

(誰、だろ)

 

 社会的立場があって裕福な男だということは一目でわかった。だけど高尾の店に来るような男とはまったくちがう。投資だの仮想通貨だので稼いだ金額を自慢し、湯水のように使ってみせるような金持ちではない。生まれもっての気品と高潔さ。それは高尾にとってまぶしいくらい鮮烈に新鮮な輝きだった。  声をかけることさえできず、歩き去る男の背中を見送る。それ以来ずっと、高尾のまぶたの裏に彼の姿が焼きついてしまった。  
 ちがう世界の住人だ。彼が下品な言葉が行き交う高尾の店に来ることなどありえないし、高尾が彼の住まいを訪ねるようなことも起こり得ない。わかっていても、わかっているからこそ、忘れられなかった。
 彼と言葉を交わしてみたい。どんな声で、どんなまなざしで自分を見つめるのか知りたい。名を呼んでみたい。呼ばれてみたい。何が好きで、何が嫌いなのか教えてほしい。ふれたときのあたたかさを知りたい。  
 ばかみたいだ。二十八歳にもなって、おまけにこんな仕事をしているくせに、子どもみたいな恋をするなんて。名前も知らない、二度と会えない確率のほうが高い相手なのに。  
 それでも夜、彼に会った時刻になると高尾は街に出た。同僚には客引きだと嘘をついて、彼を探した。雑踏の中に、頭ひとつ飛び出た男はいないかと目をこらした。  
 だから、あの夜もう一度彼を見つけたとき、これは運命だと思った。彼は自分の運命だ。誰よりも、何よりも特別な存在なのだと信じた。  
 この機会を逃してなるものか。必死な気持ちと裏腹に何気ないそぶりで声をかけ、彼を店に引き入れた。思ったとおりに育ちが良いらしく、疑いもせずについてきた彼を座らせ、酒をしこたま飲ませ、ホテルに連れ込んだ。彼がようやく事態を理解したときにはもう手遅れで、高尾は彼の体を全身で味わっていた。もくろみどおりの完全勝利だった。  
 それから数ヶ月。彼は──緑間は、毎週のように店にやってくる。騙したなとなじるでもなく、高尾を自分の所有物のように扱うでもなく、店にきては静かに酒を飲み、ホテルに誘われるのをただ待っている。
 緑間の真意なんてわからない。だけどどうでもいい。緑間が自分に会いにきてくれて、自分を抱きたいと思っている。その事実だけで途方もないくらい幸せだから、そのほかのことはどうでもいい。  
 ホテルでふたりきりになる。欲望をかくすこともしない、ぎらついた緑色の瞳に射抜かれる。たったそれだけで腰が砕けそうなくらいの快感に襲われてしまう。そうして高尾はどんどんよくばりになっていく。もっと。もっとその目で見つめてほしい。この上品で物静かな男が外ではけして見せることがない、獰猛で乱暴でいやらしい素顔を自分だけのものにしたい。脱がすのに時間がかかる服と下着を着けて焦らす作戦は、見事に成功したようだ。

 

「…………高尾……。オレで、遊んでいるな?」  

 

 たっぷりおあずけを食らわされた、欲望を満たしたくてたまらない飢えた瞳を向けられ、高尾の胸は歓喜でふるえる。ゆるむ口元が抑えきれずに笑うと、ますます緑間の視線がけわしくなるのがうれしくてたまらない。

 

「ね、早くこれとってよ。オレもう待ちきれない」  

 

 それは本心だ。早く、この男に貪られたい。全身あますところなく快感でぐずぐずに溶かされて、力強い腕でめちゃくちゃにしてほしい。自分にこんな願望があるなんて、この男に出会うまで知らなかった。

 

「あまりオレをからかうな。……歯止めがきかなくなる」  

 

 歯止めなんかいらない。この体がばらばらに砕けたってかまわないから、激しく抱いて、くっきりと刻み込んでほしい。緑間に抱かれたという事実を、いつまでも覚えていられるように。

 

(すきだよ、真ちゃん)  

 

 だからおまえがオレに飽きるまで、オレに翻弄されていて。  
 けして言えないひとことを胸の中でつぶやいて、高尾は目を伏せた。欲望にまみれたこの街の夜は、まだ終わらない。

 


2023/5/4 DCRにて配布の無配