白いシャツにびっしりと並んだボタンが要塞に見える。
かすかについたため息を聞き咎めたのだろう、高尾の唇が弧を描いた。自分よりもはるかに大柄な男に遠慮なく組み敷かれているというのに、この男に動揺した様子はみられない。ソファでくつろいでいるかのように悠々としている。
嘆息していても仕方がないことはわかっている。白くつやつやと光る小さなボタンを、緑間は苦労しながらひとつずつ外していく。
まったく、なんだって高尾はこんな厄介な服を着ているのだろう。 蝶ネクタイの小さな小さなホックを外して襟から引き抜き、黒いサテンのベストにずらりと並ぶ金と黒のボタンを外し、それでもまだこんなにも外すべきボタンがあることがひどく理不尽に感じられる。不器用というわけではないが、人よりも大きな手をもつ緑間にとって小さなボタンを外すのはなかなか厄介な作業だ。
体内でごうごうと唸る嵐のような情動に任せて引きちぎってしまいたい衝動に駆られるが、そんなことをしたら高尾に馬鹿にされるのは目に見えていた。そもそも、そんな乱暴な扱いを彼にしたくはない。大切に、宝物をあつかうようにふれたいといつも思っている──もっとも、そう言っても高尾は笑うだろうが。
バニーボーイと客。
自分たちの関係をひとことで表すならそうなるのだろう。不本意だが。
『おにーさんヒマ? オレの店で飲まねえ?』
夜の繁華街でそう笑いかけられたのは数ヶ月前。そのときの高尾は仕立てのいいスーツを着ていて、バニーボーイなどという生き物にはまったく見えなかった。
『普通のバー? ぶっは、んなわけないじゃん、男がこんなカッコしてんのに』
そう笑った高尾はそのときすでに緑間の上にまたがっていて、こんな格好と言いながらもバニーボーイである証は頭につけたカチューシャしかないような状態で、すべてが完全に手遅れだった。
いかがわしいと忌避していた類の店に入ってしまったこと、軽快なトークにつられてつい飲みすぎてしまったこと、判断力の鈍った状態で誘われるままホテルに入ってしまったこと。なにもかもが普段の緑間からは想像すらできないほどの迂闊な行動で、けれど自分でもおどろくほどに後悔はひとつもない。
「ん、なぁ、早くして……真ちゃん」
ベッドの中でしか使われない呼び名に、ふつふつと全身をめぐる血が沸く。せつなそうな吐息も、焦れたような声も全部演技だとわかっている。わかっていても、緑間の内に眠る劣情をかきたてて止まないのだからもうどうしようもない。店に足しげく通い、高尾が夜を一緒に過ごす許可を出すのを待っている時点で、完全に緑間の敗北だった。
二十八年間の人生で、男に欲情したことなど一度もなかった。それどころか、こんなふうに誰かを欲したことさえなかったのに。
「……高尾」
呼びかけた声は自分でも苦笑してしまうほど切羽詰まってかすれていて、高尾が心底満足そうに笑うのが悔しい。
なにもかもがこの男の手のひらの上だ。他人にいいように操られることなど断じて許せないくらいにはプライドが高い自覚はあったのに、勝ち誇ったような笑顔さえ緑間を甘くときめかせる。勝気そうなオレンジの瞳が快感にゆがみ、涙をこぼしながら許しを乞う様を思い描けば、ますます気持ちが急いてボタンを外す手がふるえた。ああ、早く。早く邪魔なものを取り去って、熱くやわらかな肌を思いきり堪能したい。
理性を総動員させ、なんとかシャツのボタンを外し終える。忍耐のために汗ばんだ手のひらですべらかな肌を撫で、あらわになった胸に口づける。長かった。ここまでくるのに、かなりの力を使ってしまった感さえある。
待ちわびた熱と感触を味わいながらシャツを脱がせ、スラックスのファスナーを下ろして、一気に足から引き抜く。ここまできたらもう理性なんか必要ない。存分にこの男の体を味わわせてもらう。数ヶ月お預けを食らわされていたのだ、すこしくらいしつこく抱いたって許されるだろう。
見ていろ高尾。今夜はいやだと言ってもやめてやらん。これ以上はおかしくなっちゃうと泣かせてやるのだよ。
「……………………………………」
「ぶっひゃ!」
ぐらぐらとみなぎっていた欲望にぴきぴきとヒビが入る音が聞こえた気がした。けらけらと楽しそうに笑いころげる高尾のしなやかな体に唯一まとわりついている下着。それは緑間が今まで見たこともないような。
「……なんなのだよ、これは……」
「なにって、パンツだよパンツ。今日は真ちゃんにとびっきりサービスしてやろうと思ってはりきっちった。どーお? かわい?」
高尾のわざとらしく腰をくねらせる動きにあわせて、白いレースがひらりひらりと舞う。サイドの部分に細いリボンしかないそれを紐パンと呼ぶことは緑間も知っているが、目の前にあるそれはどうも様子がちがうように思われた。リボン。サイドに結ばれたリボンの数が多い。なんだこれは。
「これ、全然伸縮性ないパンツでさ。むりやり脱がすと超いてーから。優しく脱がしてね、真ちゃん♡」
きれいに蝶々結びになっているレースはうんと細く、きつく結ばれている。ボタン以上にほどくのに手間取りそうなそれが、左右あわせて六本。
たくさんの小さなボタンのあとの、細いレース。欲望が臨界点を迎えた緑間にとって、それはもはや拷問といっても過言ではない。
「…………高尾……。オレで、遊んでいるな?」
「えーやだ、なにそれ」
高尾はうれしそうににんまりと笑う。
「わかっちゃった?」
何がわかっちゃっただ、バカめ。人をコケにするのもいい加減にしろ。もうおまえと会うのは金輪際止めにするのだよ。
などという言葉はカケラも思い浮かばない。高尾の笑顔は薄暗い室内でも花が咲いたようで、ただ緑間を魅了する。
「ね、早くこれとってよ。オレもう待ちきれない」
甘くねだるようにほほえまれ、何も考えられないまま高尾の体を抱きこんでベッドに倒れる。きゃー襲われちゃーうと笑う声を聞きながら、緑間は細いレースに手を伸ばした。