高尾には自分がリアリストだという自認がある。
何かに夢中になっているときでも、頭の一部分は冷静で物事を俯瞰して見ている。それは生まれもった鷹の目という能力のせいでもあるし、長年ポイントガードというポジションでチームの司令塔を務めていたせいでもある。
学生時代、バスケに自分のもてる限りの情熱と努力を注ぎ込んでいた最中でさえ、これは部活動でしかないのだという冷めた認識は常に高尾の中にあった。夢や理想を追うことがくだらないとはもちろん思わないが、足元を見ずに空に手を伸ばすような真似は高尾にはできない。
その点、緑間は途方もないロマンチストだ。インテリそうな見た目で優秀なエリートでおまけにメガネのくせに、人事を尽くせば成せぬことはないと固く信じている。高尾が記念日を忘れるとかなり本気で拗ねるし、案外恋人らしいムードを大切にしたりするし、ロマンチストといってさしつかえないと高尾は思っている。
まあ、実際に百パーセントの成功率を誇るスリーポイントシュートなんてとんでもない技を身につけたのだから、緑間は口だけのロマンチストではないのだが。その類稀な才能と常人では成しえないほどの凄まじい努力に高尾は惚れたのだし、愚直なまでに研鑽を惜しまない姿勢はいっそいじらしく、かわいいと思うことさえある。
高尾自身は緑間のようなロマンチストにはなれない。だけどそのぶん、緑間に足りないところを補ってやって、彼の信念が折れることがないように支えてやることができる。ずっとそう思ってきたし、その役割を担う自分に誇りも感じていた。
それなのに。
「……高尾和成さん。オレと、結婚してください」
高尾の誕生日。東京湾を一望できるホテル。エグゼクティブルームとかいう、一泊いくらなのかおそろしくて訊けないような上質な部屋。きらきらとまぶしいぐらいに輝く夜景を見ながら客室で豪勢なイタリアンのコースを食べて高級ワインを飲み、そして今、緑間は深紅の薔薇の花束を持って高尾のまえにひざまずいている。
口を開いてから閉じる。この状況で、一体何を言えというのか。さっき飲んだワインの余韻なんか一瞬で吹き飛んでしまった。
無言のまま花束を受け取ると、次に緑間はスーツのポケットから小さな箱を取り出した。中は見るまでもなく、高尾の給料の三倍か四倍の値段の指輪が入っているにちがいない。
なんだこれ。いや、プロポーズされているのはわかる。それも、もしプロポーズ評論家なんてものがいたら百点満点をつけるような、完璧なお手本みたいなプロポーズだ。
「高尾」
自分を見つめるまなざしはどこまでも真摯でまっすぐだ。愛情をかくしもしない視線、まばゆい夜景、薔薇の花束にエンゲージリング。もしテレビか何かで見ていたらむず痒すぎて笑ってしまうロマンチックなシチュエーションだ。リアリストの高尾には、あまりそぐわない。
なんだよこれ、真ちゃん、こんなめちゃくちゃロマンチックなの、オレやだよ。もっとこう、普通に切り出してくれていいのに。ここまでしてくれなくったって、オレはちゃんとうなずいて真ちゃんのプロポーズを受けるのに。いや、それよりオレが先にプロポーズしたかったのに。結婚してくださいって言ったら、緑間がどんな顔をするのか見たかったのに。
そう言ってやりたくて再度口を開くが、今度も言葉にならなかった。呼吸の仕方を忘れてしまったかのように、うまく息が吸えない。ようやく吐き出した息は自分でもおどろくくらい震えていて、あわてて花束で口元をかくす。むせかえるような薔薇の香りが鼻をついて、なんだか涙が出てきた。
「……高尾。了承の返事がほしいのだが」
不遜な一言に思わず噴き出す。それでようやく息がきちんとできるようになった。
「ぶっは、イエスしか認めませんってか」
「そのために人事を尽くしたのだよ」
「……別にこんなことしなくっても」
「一生に一度の、記念になることだからな」
一生に一度、という言葉に胸がぐっと詰まる。一生に一度。緑間がこうして膝をついて愛を乞うのは一度きり。高尾にだけ、なのだ。
「それに、おまえは存外ロマンチストだからな。こういうのが効果的だと思ったのだよ」
なんだって。思わず目をみはるが、緑間は何やら満足そうに笑っている。
「感激して涙ぐんでいるのがいい証拠だ。そうだろう?」
全然ちげーし。泣いてねーし。
胸をいっぱいにしているもののせいで喉まで塞がってしまったらしく、いつものように滑らかに言葉が出てこない。けれど今高尾を埋め尽くしているものの正体を問われたら歓喜と幸福感だと答えるしかなく、つまるところ、非常に悔しいけれど感激していることを否定できない。
「……オレがロマンチストだから、じゃねーし。真ちゃんが、結婚してくれ、とか言うから」
「そうだな。それで、高尾。返事を」
緑間は、高尾がロマンチストか否かという重要な問題には関心がないらしい。再度返事を促され、目の前がゆらゆらとにじむ。
「……うん」
ようやく絞り出せた返事は、我ながら恥ずかしくなるくらいに蚊の鳴くような声だった。
2022.11.20
webオンリー「高尾とバースデーケーキを食べるのだよ!!」無配