※タイトル通りの内容です。
※緑間さんが高尾くん以外のいろんな人と寝てる設定です
※高尾くんに彼女いる描写あり
こうして会う夜はいつだってそわそわする。
促されて席につき、行儀が悪くならない程度に周囲を見渡す。しっかりとした木でできた椅子は平均以上のサイズを誇るオレにも座り心地がよく、ほどよく薄暗い店内は周囲の人がたてる音や声が気に障らないようにしてくれる。カウンターには色とりどりの酒瓶が並び、大きなガラス窓の向こうには美しい夜景が広がっていた。
今日の店は高尾が選んだ。いつも値段の安さと料理のボリュームを重視して居酒屋を選ぶ高尾にしては意外な選択に思える、大人びた店だった。
「とりあえずビールでいいだろ? あと料理は今日オレにお任せな?」
ああ、とうなずく前に高尾は店員を捕まえている。
高尾が笑ったときにできる頬のくぼみをぼんやりと見つめていると、注文を終えた瞳がこちらを向いた。テーブルの真上にある照明を弾いて、橙がきらりと輝く。
「なんか久しぶりだな~。元気だった?」
「当然なのだよ」
「ぶは、だよなぁ! オレは超忙しかった。新しい企画がなかなか通んなくってさぁ」
楽しいことが好きな男は、たくさんの人を楽しませるためか大手のおもちゃメーカーに入社した。今はそこの企画部という花形の部署で毎日忙しくしているらしい。
その働きぶりをそばで見ることはできないが、高校のときと同じように人知れず努力して人事を尽くしていることは疑いようもない。高尾とはそういう人間だ。
「真ちゃんは最近どうよ? そういや今日しめきりとか大丈夫だった?」
オレは小さな出版社に勤めている。毒にも薬にもならないつまらないトピックばかりをごちゃごちゃと詰めた雑誌を作っている、と話したときの高尾のなんとも言えない表情を時折思い出す。おそらく、オレがそんな正体のよくわからない仕事に就くとは思っていなかったのだろう。
「ああ、昨日校了したのだよ」
「コウリョー? ってなんだっけ。ま、終わったんならいいや。お疲れ」
運ばれてきたビールのグラスをカチンと鳴らして高尾が笑う。もう何年も前、部活を終えてスポーツドリンクを口にしたときの笑顔が重なった。
こいつはいつまでも変わらない。おしゃべりなところも、好き勝手ふるまっているようで他人を優先させるところも、人の気持ちに敏いくせに肝心なことには気づかないところも、何年経ってもあのころのままだ。それはオレを癒しもするし、落胆もさせる。
「真ちゃん、これ食ってみろよ。オレのオススメ」
ビールの少し後にやってきただし巻き卵の皿が目の前に突き出される。焼きたてらしくまだ熱い卵焼きを口に入れると、ほわりとした甘みが口いっぱいに広がる。居酒屋にありがちな、出汁の風味ばかりが前面に押し出された味ではない。ひどく優しい味だった。
うまい。思わずつぶやくと高尾が破顔する。
「へへ、だろ? この前仕事でここ来てこれ食ってさ。絶対真ちゃん好きだと思ったんだよね。さすがオレ、真ちゃんの好み知り尽くしてる」
得意げに笑っている顔を見て、もう何度味わったかわからない胸の痛みを噛みしめる。オレも、あのころから変わっていない。何年経っても、あまり会えなくなっても、変わらずに恋をしている。
オレはもうずっと高尾に、叶わない恋をしている。
自覚したのは高2の冬だった。17のオレは、何の前触れもなく、投げ込まれた小石が水面に浮くような自然さで、高尾にキスがしたいと思ってしまった。
そんな衝動を感じてしまったことに、オレは動揺した。そのときまで自分は異性愛者――いわゆるノンケだと信じて疑っていなかったからだ。家族にかくれて時折していた自慰の対象もずっと女性だったし、幼いころ淡い思いを抱いた相手も女性だった。けれど、高尾の痴態を思い浮かべてしてみたらあっけなく達することができてしまった。あれは、オレの人生でいちばん最初の衝撃だった。まさか自分が高尾に――あのやかましくて馴れ馴れしいくせに本音を吐きたがらない厄介な男に、性欲を含めた恋愛感情を抱くことになるなんて誰が予想できただろう。
この事実をどうやって整理すればいい。人知れず悩んだ末に、オレは『高尾が特別なのだ』という結論を導き出した。オレは同性愛者ではなく、基本的には異性愛者だが、高尾には性別を超えた何かがあって惹かれるのだ、と。
だが、オレの性的嗜好がどうであれ、これが同性愛だということに変わりはない。
いろいろ調べているうちにセクシャルマイノリティに待ち受ける厳しい現実についても学んでいたオレは、思いを告げることを選ばなかった。高尾がノンケであることはわかっていたし(一時期、同級生の女子とつきあっていたのを知っていた)、不用意に告げて関係を悪化させるよりも現状を維持するほうが得策なのは明白だ、と考えたのだ。
思いを伝えることなく高校を卒業したオレは、しばらくのあいだ高尾の不在に苦しんだ。そばでとりとめもなくしゃべりつづける声が聞けないのはもちろん、あいつが今どこで何をしていて誰と笑っているかわからないのは、思ったよりも堪えることだった。
恋人という絶対の座を手に入れればこの苦しみが薄らぐのはわかっていたが、実行に移せるはずもない。自分から誘いをかけることが不得手だということも、オレを追いつめた。携帯電話を睨みながら高尾からの連絡を待つ心情は、思い出すだけで呼吸が苦しくなる。尽くすべき人事を尽くせず、ただじっと待っていることしかできないというのは、とてもみじめなものだった。
行き場のない思いを持て余し、オレはなんとか高尾を忘れようと努めた。
サークルやゼミの飲み会に頻繁に顔を出して酒を飲んでふらふらになったり、言い寄ってきた女性と行き当たりばったりにつきあったり、今思い返すと少し自棄になっていたのだと思う。当然ながら、それで高尾への思いが消えることなどなく、むしろ悪化するばかりだった。
酒を飲めば、高尾に会いたい気持ちが抑えられなくなる。女性を抱けば、やはりオレは異性愛者なのだ、高尾は特別なのだという思いが強くなる。どこにいても、何をしていても、高尾の顔が頭から離れない。恋は病だというけれど、それが本当ならオレはかなり重症の部類に入っただろう。
あの男に会ったのは、そんな時期だった。
ゼミの先輩の友人だというその男は、自分はゲイだと言った。酒をしこたま飲んで赤くなった顔でおまえもそうなんだろ、と肩を抱かれて手をはねのけられなかったのは、のんきに笑う高尾の顔がよぎったせいだった。
初めて、『仲間』に出会えたような気がした。その男は明らかに軽薄そう――高尾とはちがう意味で――だったが、きっとオレと同じような悩みを抱え、同じような苦しみを乗り越えているはずだ。
「オレ、バリネコなんだよねぇ。おまえはどうなの?」
そのときべろべろに酔っていたし、ひとりでぐだぐだと悩みつづける日々に嫌気がさしていた。
酒とタバコの匂いが染みついた手をとったのは、たぶんそんな理由だった。
結論からいえば何ということはない話で、オレは男女どちらも性的対象にできる両性愛者だった。
そんなものか。行為を終えてベッドでだらしなく眠っている男を見下ろし、オレの胸に去来したのは驚きでも後悔でもなく、冷えた失望だった。
高尾だけが特別なのではなかった。オレは、こんな見ず知らずの男が相手でも勃起することができたし、射精もした。男との行為の最中に感じていたのはまぎれもなく性欲と快感で、それはずっとずっと高尾に向けていたはずのものだった。
オレが、高尾に抱いていた感情は、この程度のものだったのか。
そのあとのオレの素行に関しては、正直あまり思い出したくない。
オレは本格的に自棄になった。男女問わずセックスをし、不誠実な関係をいくつももった。男性を相手にする際、挿入するほうでもされるほうでもかまわなかったことが虚無感をさらに加速させた。
勉学に支障が出ない程度に、だけど高尾のことを思い出さないように、遊んで、遊んで、遊んで――久しぶりに会った高尾のひとことで目が覚めた。
「真ちゃん、どしたの? なんかヘンじゃね?」
もちろん高尾には何も話さずにいたが、オレのスレたり荒んだりしている部分が滲み出ていたのだろう。不審そうな瞳で見上げられて、雷にでも撃たれたような気分だった。
オレは何をしているのだろう。高尾に心配などされるようでは、本格的におしまいだ。かつての相棒として、いちばんあいつを理解している友人として、恥じないだけの存在でありつづける。それがオレにできる唯一の、高尾のそばにいるための人事だというのに。
それからはすっぱり誰とも寝るのをやめた。まじめに勉学に打ち込み、休日にはバスケを楽しむ、いたって健全な大学生にもどり、今はやや不規則ではあるが健全な社会人として毎日仕事に人事を尽くしている。
けれど結局、オレは高尾への恋心を捨てられずにいる。いくら他人と寝ても、恋愛に失望していても、高尾のたったひとことでふるまいを正してしまうのがいい証拠だ。
それならばもう、どうしようもないではないか。いつからかそんなふうに、オレは開き直るようになった。
どうせ何をしても忘れられないのなら、忘れなければいい。今までどおり友人としてそばにいて、ときどきこっそりあいつを思って自分を慰める。そのことがいくら後ろめたくても、言えない気持ちが破裂したがって全身を苛んでも、オレにとっての最善はそれしかない。
そうして日々を過ごすうちに、いつか思いが風化すればいいし、しなくてもそれはそれでいい。その考えはオレをいくらか楽にした。そのはずだ。
「……真ちゃん、聞いてる?」
少し大きめの声量にハッとなって目の前に意識を向ける。高尾が顔を赤くして不服そうにこちらを見ていた。
「――ああ、聞いていたのだよ」
「ホントかよ。でさあ、オレ先月別れたじゃん」
まばたきをいくつかして、高尾の言葉を反芻する。先月別れた、というフレーズを反芻してようやく話を理解した。高尾は、ついこのあいだ1年ちょっとつきあった彼女と別れたのだった。
「それがなんだ」
今さら、高尾の恋愛の話を聞いたところで胸が痛むようなことはない。30を目前にしてそんな初心な気持ちはもちあわせていないし、別れたところでどうせまたすぐに彼女ができるにきまっているのだ。
大人になると、恋愛はやや事務的になる。胸を強く焦がすような衝動がなくとも、互いが希望する条件さえ整ってしまえば恋人同士になれるのだ。そして仮に高尾が強く誰かを愛したとしても、それはオレに向けられるものではないとわかっている。
オレにできることは、友人として話を聞くことだけなのだ。
「いつまでもヘコんでてもしょうがねえから、行ったんだよね。先週、合コン」
ほら、先月あれだけ落ち込んでいたくせに、高尾はもう次の恋を見つけようとしている。
それを薄情だと責める気はない。オレのようにいつまでもぐずぐずとしている生き方は、高尾には似合わない。世界でいちばんすばらしい女性と結ばれて、誰よりもしあわせになるべきだ。たかだか1年ちょっとつきあっただけで高尾のすべてを理解した気になり、切り捨てようなどと思う女など、さっさと忘れてしまったほうがいい。
なのに、なぜだろう。高尾が合コンに行ったと聞いてオレの胸は鋭く痛む。初めて聞くような類の話でもないのに、いつまでもオレの胸は同じように痛い。
いつになれば、痛まなくなる。心を平らかにして、おまえがしあわせになろうと人事を尽くす姿を見守ることができるようになる。
「正直あんまいいコいなかったんだけどさあ。やーこの歳になると、いいなって思うコはだいたい結婚しちゃってるんだよな~。ちょっと焦った。あ、で、写真撮ったんだけど」
スマホを取り出し、いくつかの操作をしてから高尾は満面の笑みでそれを突き出す。
どこにでもありそうな居酒屋で、男女が何人か肩を並べて笑っていた。どういう席順で飲んだのか、右に男性、左に女性が固まっていて、これではカップルなど成立しそうになさそうだ。
「な、な、真ちゃんはこんなかでいいなって思うのいねえ? 真ちゃんって昔っからそういう話全然しねえじゃん。今、彼女とかいんの?」
もし彼女いねえならオレ紹介するぜ? そう言って笑う高尾の顔には、ひとかけらの邪気もない。オレの好みを知り尽くしていると笑う高尾は、オレがいちばん好きなものを知らない。
「オレがいいと思う者など、そうそういるわけがないのだよ」
「ブハ! オレ様!」
飲み下すのに慣れたはずの感情が飛び出しそうで、軽口を叩きながら何の興味もない液晶画面に意識を集中させる。わざとらしく肩を組んで笑っている男性の群れ。その中心で笑っているのは高尾だ。いくつも歳をとったけれど、真顔よりはいくらか幼く見える笑顔や、独特な口角の上がり具合は昔のままだ。つやつやと光る黒い髪も、なかなか筋肉がつかないと嘆いていた肩幅も。
ああ、やっぱり、高尾がいちばんいい。高尾よりも好きになれる存在なんて、どこにもいない。オレの目は、どうしたって高尾だけを見つめてしまう。
「……真ちゃん」
やけに真面目な声に顔をあげる。酔って赤くなった顔を神妙な形にして、高尾がオレを見つめていた。
「さっきから、写真の右側しか見てねえよな。そっち男しか映ってないんだけど」
スッと頭から酔いが引いていくのがわかった。しまった。高尾が人並み以上に目ざといことを忘れていた。
「……おまえの、間抜け面を見ていたのだよ」
「真ちゃんさ。オレずっと思ってたんだけど、真ちゃんってもしかして、ゲイなの?」
突然すぎる言葉に、とっさに反応ができなかった。
ちがう、と言いかけて唇を噛む。高尾相手にヘタなごまかしは通用しないことくらいわかっている。最初の反応をまちがえてしまった時点で、オレの敗北は決まっていた。
「…………正確には、バイ、なのだよ」
取り繕おうとして見え見えの嘘をつくようなみっともない姿を晒すより、認めてしまったほうが潔い。それに、いつまでもかくせるものでもないだろう。
今はいいが、いずれもっと歳をとればなぜ結婚しないのか訝しがられる。それに、一度高尾に気持ち悪いとか無理とか言って拒絶されれば、いくらあきらめの悪いオレでも踏ん切りがつくかもしれない。いい頃合いかもしれなかった。
「へぇ。そっか。いや、真ちゃん、ほんとに自分の恋バナ全然しないから、もしかしてーって思ってたけど」
高尾の声音は平坦だ。情けないことに、顔を見ることができない。踏ん切りがつくかもしれないと思いながらも、拒絶されることを恐れている。
「ブフ、なんつー顔してんだよ真ちゃん。キモいとかそういうの全然ねーから泣くなって」
「な、泣いていない!」
からかわれてついに高尾を見る。にやにやと楽しそうな色を瞳に浮かべて高尾は何杯目かのハイボールに口をつけた。
「そんで、真ちゃんは彼女、あ、彼氏でもいいや。いるの?」
「いない……が」
「うひゃひゃ、ビビってる真ちゃん超おもしれー。キモいとかねーって言ってるだろ?」
「ビビってないのだよ」
投げやりな気分になってカクテルをぐいと飲み干すと、高尾は楽しそうに笑いながら「次何飲む?」といつもの軽さでメニューを差し出してくる。その態度に、自分が思い悩んでいることがバカバカしくなってきた。オレの長年の懊悩はなんだったのだ。こんなことなら、さっさと話せばよかったとさえ思えてくる。
「しっかし、真ちゃんがバイ、ねえ。くく、ウケる」
「おまえは……そうおもしろがるようなことでもないだろう」
「そう? 楽しそうじゃん。男も女もどっちもいけるとか選択肢倍って感じで」
発言にも笑顔にもあいかわらず邪気はなくて、思わず呆れてしまう。
そうだ、高尾はこういうやつだった。なんでも楽しんでしまう、楽しもうとしてしまう男だった。深く物事を考えない享楽的な性格だと思っていたこともあったが、どんなことも楽しむというのは、言葉ほど単純ではない。強い意志があってはじめてそうふるまえる、その心根のつよさがオレはずっと好きだった。
「――おまえは」
言葉は勝手に口から飛び出た。先ほどまで酒でじゅうぶん潤っていたはずの喉が、渇いてひどく痛い。
「おまえは。……オレが、好きだと言ったら」
高尾の目がくるりと丸くなる。きつくつりがちな瞳が驚くとそうなるのを、そういえば久しぶりに見た気がする。
「どう、するのだよ」
長年抑えに抑えつけていた思いは、脱出口を見つけてしまった。もはや止められそうにない。
高尾はなんと答えるだろうか。何言ってんのと驚くだろうか。ずっとそういう目で見てたのかと気味悪がるだろうか。オレはゲイじゃねえから無理、と笑うだろうか。
それとも。
「そーだなぁ」
ハイボールを飲み干した高尾の唇がゆっくりと弧を描くのを、オレはただじっと、眺めていた。
2016.10.2
フォロワさんからのお題「「バイタチネコ(男でも女でも攻めでも受けてもOK)な緑間さん×ノンケ高尾くんで、ふたりで飲みに行って初めて性癖がバレたときの高尾くんの反応」」