オレはおまえを、

「高尾、オレはおまえを―したいのだよ」
 
 唐突に言われたことばにぽかんとなる。
 目の前には緑間真太郎。二十三歳。出会ってから八年間、ずっと同じデザインの黒いアンダーリム。短くしたり横に流したりした時期もあったけど、今は形のいいおでこを隠している分厚い前髪。いつもと変わらない、いつもの真ちゃんだ。
 そういやこの前、「髪の毛の性質って性格を反映してんのかもな」って真ちゃんをからかったら、「そうかもしれんな。おまえの髪を見たら一理ある気がするのだよ」なんて言いやがった。八年の歳月は、オレのエース様に減らず口を叩かせるのをうまくさせたらしい。いつまでも変わらないように見える真ちゃんも変化してるんだな、なんてガラにもなく感傷的になっちまうな。
 えっと、なんだっけ。
 とりとめのない方向に流れかけていた思考を、目の前の恋人にもどす。きまじめな緑色をした視線はオレの顔から動こうとしない。オレの返答を待っているのだ。
 いつでも自分のしたいこと、こうと決めたことにまっすぐで、納得するまでは絶対に意志を曲げない。そんなところが好きで、だから紆余曲折二転三転右往左往のりこえてこうしているんだけど、オレにとって都合の悪いことを煙に巻きたいときだけはちょっと苦労する。長所と短所は裏表とはよく言ったもんで、でもだから救われることもあんのかなって最近は思う。……ええと、それはともかく、なんだっけ?
 
「……もっかい言って?」
 
 きりりとした形のいい眉がぐっと歪む。オレが話を聞いていなかったことに怒っているのではない。きちんと聞いていたくせに、それでも訊き返したから機嫌を損ねたのだ。
 
「何度も言わせるな」
 オレは、おまえを。
 くりかえされることばを、まばたきしながら脳内で咀嚼する。しかし何回噛んでみても、それからは全然味がしてこなかった。
 
「だから、その方法を教えろ」
 
 どうだ、これで理解できただろう。そう言わんばかりの態度に思わず苦笑すると、濃い緑色をした眉毛がまたぐいっとおでこの中心に寄っていく。
 真ちゃんは頭がいい。いろんな本を読んでいるせいか、知識も豊富だ。洞察力も観察力もあるし、状況を冷静に分析して正しい判断を下すことも―場合によっては―オレより上手なくらいだ。
 だけど、それでも、真ちゃんはバカだ。こういうときしみじみとそう思ってしまう。
 
「真ちゃんはさぁ」
 
 ようやくオレが発した返答に、眉毛がぴくりと跳ねる。緑間真太郎は雄弁だ。眉や口の端や視線が描く軌跡や指先なんかに、たくさんの感情を宿らせている。
 
「なんでそんなこと考えたんだよ?」
 
 真ちゃんの首がこてんとかしぐ。二メートル近い大男にふさわしい形容詞じゃないことは百も承知だけど、あえて使わせてもらいたい。かわいい。
 
「なぜ、とは」
 
 真ちゃんは難題をつきつけられたような表情で黙りこむ。要望とはきっとちがったオレのことばに、きちんと返答しようとしてくれているのだ。
 その律義さ、きちんとアイロンをかけたシャツみたいな折り目正しさを、オレはいいなあと思う。何年たっても、いつまでも、初めて目撃したように新鮮な気持ちで、そう思う。
 
「おまえと、こうして一緒にいるようになってだいぶたつだろう」
「おう」
「初めて会ったときはなんて軽薄そうなやつだ、絶対に気が合わんと思っていたのだが……。実はそうでもないと考えをあらためたのは、わりと早い時期だったと思う。それからは……」
 
 おっと、出会ったころまで話がさかのぼってしまった。いつまで続くか不明な長い話を、オレは黙って聞く。真ちゃんの話は、よくわからないようでいて、いつもきちんと目的地にたどりつくことを知っているから。
 

「―というわけで、今までの関係をふりかえってみて、思ったのだよ。オレは人事を尽くせているだろうかと」
 
 ひたりと、真剣な瞳がオレを見すえる。 「高尾。オレは、おまえをしあわせにしたいのだよ」
 
 で、どうすればいいんだって、さぁ。
 マジでわかってないんだろうか。八年も一緒にいて、オレをしあわせにする方法のひとつも思いつかないというのか。あの緑間真太郎が? そんなバカな話があるわけない。あってたまるか。
 
「高尾」
 
 オレがいつまでも返事をしないことに焦れたエース様に、ぐいと腕をつかまれて引き寄せられる。顔をあげると伏せられた長い睫毛が飛び込んできて、長年の習慣でオレも目を閉じてしまった。
 次の瞬間おとずれるのは、やわらかくてあたたかい感触だ。
 真ちゃんの唇はどっちかっていうと薄いほうで、だけどこうやってふれると肉厚に感じる。きちんとケアしているのか、乾いていることはあっても剝けたり血が滲んでいるところは見たことがない。
 そういえば、最初のころはキスするのに命がけに近い覚悟をもって臨んでいた。今だってどきどきしないこともないけど、あのころとは比べものにならない。ふたりきりになれるときが少ないせいもあったけど、キスすることがビッグイベントだった。冗談抜きで、心臓が止まったらどうしようと毎回心配していた。
 どきどきしすぎてふれたんだかどうかもわからないキスも、あったかくて気持ちがふわふわするキスも、涙にまみれてしょっぱいキスも、唾液と汗でぐっちゃぐちゃのキスも、全部経験した。真ちゃんと、ひとつひとつ積み重ねた。
 その結果、挨拶みたいに自然にキスを交わすようになった。あのころの自分を、バカみたいに純情だったよななんて気恥ずかしくなりながら思い返せるようになった。そのことが―。
 
「……高尾」
 
 あいしている、の意味を込めた音に応えるかわりにもう一度唇を重ねる。
 そんなふうにキスできることが、真ちゃんがオレを呼ぶ声に特別な意味が混ざることが、このさきもずっとこんなふうに時を重ねていけると思えることが、そういったことのひとつひとつが、オレにどんなものを与えてるか、本当にこいつは知らないのだろうか。そうだとしたら、どうやって教えてやればいいのだろう。
 
「真ちゃん」
 
 ありったけの思いを込めて名前を呼ぶと、緑の瞳がゆっくりと細められる。
 ほら、それだけで、オレはこの世でいちばんの幸福を手にするのだ。

 

 

 


2017.5.7
ラキおま5無配