オレの真ちゃんが人間になった

 オレの家にはねこがいる。
 まっしろで、めちゃくちゃでかいねこだ。去年の夏、側溝でみゃうみゃう鳴いているところをオレが拾ったのだ。
 そのころのねこは手のひらにすっぽりと収まるサイズで、薄汚れた灰色の毛並みをしていた。
 きっと母親に置いていかれたのだろう。オレが拾い上げても懸命にみゃあみゃあ鳴いてるのがなんだかいじらしくて、とても放っておくことなんかできなかった。
 そのまま病院に連れていき、簡単に検査をしてもらって健康に問題がないことを確認し、ノミやダニを取る薬をもらって、オレはそいつを連れて帰った。ねこは逃げるそぶりも見せずにオレの手のひらでちんまりとしているものだから、余計にオレがなんとかしてやんなきゃという気持ちにさせられた。
 スマホとにらめっこしてあれこれ調べ、なけなしの小遣いをはたいて必要な物を買いそろえ、オレは必死にねこの面倒をみた。カリカリをふやかして食べさせ、目やにを取ってやり、半ばむりやりお風呂に入れて体を洗い――タオルでごしごし拭いて乾かしたら純白でふわふわの毛並みがあらわれたときは、思わず声をあげてしまった。
「なんだよおまえ白猫なんじゃん!」
 するとねこは、「フン、当然だ」といった顔をしてぺろぺろと自分の体を舐めだした。そのふてぶてしい様がかわいくて、こいつに夢中になったのはこの瞬間だったと断言できる。
 そんなこんなで、オレはねこを飼うことになった。
 今では手のひらどころか両手で抱えるのもやっとなくらい巨大に成長した白いねこを、オレはそれはそれは溺愛している。
 ……はずだった。

  「高尾! オレのつがいになるのだよ!」
 なんだこれ。
 中間テストを終え、家に帰ったオレを待ち受けていたのは見知らぬ大男だった。
「……誰?」
 緑の髪に緑の目。見上げるくらいの身長。きりりとした眉とすっと通った鼻筋に、女子が羨みそうなくらい長いまつげ。ずいぶん綺麗な顔したやつだけど、誰?
 頭にハテナを浮かべているあいだに大男はオレに向かって突進をかます。たまらず倒れこむと、ずしんと上に乗っかられる。こいつ暴漢? オレ襲われてる? あれ、オレヤバい?
「つがいになるのだよ」
 低い声がそうくりかえし、生暖かい感触が首筋を襲う。うひゃ! とすっとんきょうな声を出しても謎の男はオレの上から退かない。つかこいつ、オレの首舐めてる!
「ちょ、な、つがい?」
「そうだ。おまえに拾われ面倒をみてもらい、オレはもうじゅうぶん大きくなった。もう立派に大人といえるのだよ」
「――は!?」
 謎の男の発言にはっとなる。オレが拾って面倒をみたのなんて、白いねこ――かわいいかわいい、オレのねこしかいない。だけどまさか。そんなわけない。
「真ちゃん……?」
 信じられずに愛猫の名をつぶやくと、謎の男は顔をあげて大きくうなずいた。いや、うなずかれましても。そんなわけないとしか言えない。
「え、あ、マジで……? 真ちゃん、なわけ?」
「ほかにだれがいる」
 自信満々に言い切られ、男は今度はオレの頬をぺろぺろと舐めはじめた。
「ちょ、やめ、うひゃひゃ、くすぐってえ!」
 ハタから見たらきっとかなり変というかヤバい光景だ。でもオレの頭にあるのは嫌悪感より違和感。だって、ねこの舌はもっとざりざりしていて痛い。
「オレの真ちゃんはかわいいねこだよ」
 力を込めて男の体を押し返す。長いまつげに縁どられた瞳がきょとんと丸くなる。その澄んだ緑色、うちの真ちゃんとおんなじだけど、でも、やっぱり真ちゃんなわけがない。
「オレがわからないのか……?」
 ガーン! って効果音が見えそうなくらいにあからさまに男はしょぼくれた。がくり、と垂れた頭からぴょこんと白いものが飛び出してオレは目を見開く。白くて、ふわふわで、大きいそれはどう見てもねこの耳だった。
「やっとこうして話ができるまでになったというのに……」
 耳にしか見えない白いふわふわがぺたんと緑色の髪の上に寝そべる。尻のあたりに白く細長いふわふわがへろへろと這っていて、思わずそれを掴んでしまう。
「この耳と……しっぽ……」
 見覚えがある。まっしろで、あんまりきれいな白だから陽があたるとほんのすこしだけ緑を帯びて見える毛並み。なにより、このしっぽの長さ。オレの真ちゃんのしっぽはちょっとびっくりするくらい長く、がっかりするとへろへろと地面に落ちるのだ。
「……マジで真ちゃん?」
 そっと頭を撫でると、なぜか手になじんだ感触がした。毎日、どれだけさわってても飽きない真ちゃんの頭。
「ふは、すげー……なあ、ヘコむなって。悪かったよ」
 この大男と白猫が同じには思えないけど、こいつがヘコんでるとなぜかしら胸が痛い。大急ぎでなんとかしなくちゃって気分になる。
「……高尾!」
 ぱあっと顔をあげた真ちゃんらしき男にがばりと抱きつかれる。すりすり、とひたいのてっぺんあたりを擦りつけられ、くすぐったくて笑いがこぼれた。
「うひゃひゃ、犬みてー」
 でも、頭を擦りつけてくるしぐさは真ちゃんそっくりだ。そっか、オレ夢見てんのかも。テストがヤバくて睡眠時間足りてなかったしな。
 よしよしと緑色の頭を撫でると、真ちゃんはますます強くオレに抱きついてくる。正直重たい。
「しっかしでけーなあ……。まあでかいねこだったけど」
「高尾の愛情の強さの証だ」
 緑の瞳がきらりと光る。そしてオレはまたまた押し倒されてしまった。
「つがいになるのだよ!」
「いやいやいや真ちゃん、知らねーかもしんねーけど、つがいってのはオスとメスがなるもんだかんな? おまえもオレもオスだから!」
 そういえば真ちゃんにそういう性教育ってしたことなかった。いや普通ねこにはしねーだろうけど。だけど知らずに誤解しているのは飼い主の責任、だよな? それならオレが思い違いを正してやらねーと。
 けれど真ちゃんはまじめくさった態度をくずさない。
「オレはおまえの愛を一身に受けて成長した。おまえの気持ちはオレの姿に表れている。飼い主の愛情がなければ、ここまで育たないのだよ。子孫を残す云々の話ではない。オレは高尾とつがうのだよ、高尾以外にいないのだよ」
 え、いや、愛とか照れる。
 そりゃオレは真ちゃんに並々ならぬ愛情を注いでいる。なんかあったらすぐ病院に連れてくし、ごはんだって厳選しまくって危険な物質や健康に悪そうなものをいっさい排除したちょっとお高いやつしかあげていない。どんだけ疲れてても毎日の猫じゃらしは欠かさないし、トイレ掃除だってきちんとこまめにしている。真ちゃんを他の何より誰より愛してる。だから、真ちゃんは人間の姿になったってことなのか?
「……いやでも、ねこと人間でつがうってどうなんだよ……。オレ、彼女とかつくったらダメ、ってこと?」
 真ちゃんの言う「つがい」は果たして男女のソレなのか。おそるおそる問うと、真ちゃんはみるみる顔を険しくさせた。
「なっ?! 彼女だと?! 高尾はオレだけでは不満か?」
 深い緑色の瞳がじっとオレを見つめる。
「オレをお前に夢中にさせておいて、お前は他の奴にうつつを抜かすのか?」
「え……いや、真ちゃんはペットだし……」
 あれ、これ完全に浮気を追及されてる感じじゃね? 別に彼女はいないし好きなコもいないけど、責めた目をされるとついしどろもどろになってしまう。
「オ。オレだって、真ちゃんにむちゅー、だし……」
 これは別に嘘でもなんでもない。実際、真ちゃんを拾ってからオレは真ちゃんに夢中だ。バスケと同じくらい。
「オレと……つがうのだよ……」
 オレの上に乗っかるでかい体からしょんぼりとしたオーラが伝わってくる。視界のはしっこで白いしっぽがへなへなと頼りなく揺れている。
「あーもう、しょうがねえなあ!」
 いつもしてるみたいに、真ちゃんのおでこにちゅっとキスをする。
「真ちゃんがいちばんだよ」
 嘘じゃない。恋愛的な意味じゃもちろんなかったけど、真ちゃんがいちばん大事だってのは変わらない。きっとこれからもずっと。
 その真ちゃんがオレとつがいになりたいって言ってくれてんだ。ならもうそれでいいんじゃねーかな? だいたい、オレが真ちゃんのおねだりに勝てたことなんて一度もないのだ。
「高尾……!」
 真ちゃんがものすごくうれしそうな顔をする。そして顔を近づけてきて唇をうばわれてしまった。
「ん、んぅ、んーっ」
 真ちゃんに鼻を舐められたことはあるけど、キスはない。行為そのものと唇の熱さに驚き、じたばたするとようやく解放してもらえた。
「大切にするのだよ」
「え、や、おまえそんな愛情表現ストレートなねこだったっけ…」
 普段の真ちゃんは甘えんぼだけど、犬みたいに「すき!」と全身で表現してくることはない。せいぜいベッドに入ってきてオレのお腹を枕にしたり、足に体を擦りつけてきたりするくらいだ。
「いや、その…、あまり時間が……っ!」
 ぼふん! とクッションを叩いたような音がした。
 まばたきをすると、真ちゃんがいる。人間じゃなくて、ねこの。
「真ちゃん……?」
 真ちゃんは、とても不満げに「にゃー」と鳴いた。

  「まだ成長したばかりだから、人の姿でいるのは疲れるし安定しないのだよ」
 次の日、また人間の姿になった真ちゃんはもじもじしながらそう言った。そう、夢じゃなかったのだ。
「ほ、ほんとに真ちゃんなんだな……」
 思わずつぶやくと、「だからそう言っている」と言わんばかりの視線が返ってくる。いやだって、すぐ受け入れるのは難しい。
「疲れんなら無理すんなよ。オレねこの真ちゃんも好きなんだからさ」
 むしろそっちのが落ち着く。今はまだ。
 だって人間の姿の真ちゃんは完全に恋人モードでオレを見つめてくるから、どうしていいかわかんなくてちょっと照れる。
「徐々に体力をつけ、慣らしていくのだよ。こうして高尾と同じ目線で話をしていたいからな」
「あー……そんで最近、ねこのときはめちゃくちゃ走りまわってんの?」
「そうだ。オレは人事を尽くす」
 真剣な瞳にきゅん、と胸が鳴る。すごい勢いで走る真ちゃんを見て単純に元気だなーって思ってたけど、全部、オレのためだったとか。やばい、けっこーときめく。
 ねこにするみたいに、真ちゃんの顎の下を撫でてみる。「む」と言いながらも気持ちよさそうに目を細める姿はなんだかかわいい。男同士ってのがちょっとあれだけど、でも、こういうのってけっこう悪くねーかも――あれ?
 ねこって、寿命、人間より全然短いよな?
「なんだ?」
 オレの表情の変化に気づいたのか、真ちゃんが首をかしげる。
 真ちゃんが先に死ぬのは、わかってる。飼うときに覚悟したことだ。でも、つがいになる――伴侶になるっていうと、またちょっと意味合いが変わってくるような気がする。
「真ちゃん……長生きしろよ。オレも努力するから。もっといいカリカリ買ったり」
「オレは普通のねことはちがうのだよ」
 きっぱりと言い切られ、顔をあげる。自信にあふれた表情の真ちゃんを見ると、さっき生まれた不安がしゅわしゅわと消えていくのを感じた。
「寿命も長い。高尾を未亡人にしたりしないのだよ」
 それよりもっと撫でろ、と顎を突き出されてオレは笑う。こういうとこはねこのときと変わらない。
「ぶは、未亡人ってウケる。オレ、人妻みてーじゃん」
「オレの妻なのだよ」
 きりりと言った直後、ぼふんと音がして真ちゃんはねこにもどる。その白くてやわらかい毛並みに、オレは思いきり鼻をうずめて笑うのだった。

 


2018.4.22