「こんにちはっスー!」
もらった合鍵でドアを開けながら声をかける。けれど返事はない。
「あれ、留守っスか? せんぱーい」
来訪をアピールするために声を張り上げながら中に入る。それでも恋人の応答は聞こえてこなくて、しんと沈黙が降りる。
「もー、行くって連絡したのにいないとか……って」
文句を言いながらリビングのドアを開けると、ソファでぐうぐう寝ている人影がひとつ。先輩だ。
「寝てるんスか……」
オレはたちまち物音に気をつかうようになって、そうっとコンビニの袋をテーブルに乗せ、リュックを床に置く。気を使ってもビニール袋はがさがさ音を立ててしまったけど、それでも先輩が起きる気配はない。熟睡だ。
いそいそと洗面所に向かって手洗いとうがいをすませ(先輩はこれを怠るとものすごく怒る)、ソファに戻る。相変わらず熟睡の先輩は微動だにしない。
「せんぱーい……」
小さな声で呼んでみてももちろん返事はない。しかたがないので、ソファのすぐそばに座り込んで先輩の寝顔を観察することにする。だって起こすのもったいない。たぶん、疲れてんだと思うし。
それにしても子どもみたいな寝顔だ。実は先輩って案外童顔。眉間にシワ寄せて怒鳴ったりしてないと、意外なくらいあどけない。ちょっとだけ開いた唇とか、かすかに聞こえてくる寝息とか、ゆるんだ目元とか、すげーかわいい。
「せんぱい」
起こすためじゃなく名前を呼んで、クッションに顎を乗せて先輩を見つめる。
正直なところ、先輩と恋愛的な意味でつきあうようになったからってこんなふうに寝顔を見られるとは思ってなかった。先輩はどこまでいっても〝先輩〟なんじゃないかって思ってた。でもオレの予想を大幅に裏切って、先輩はいっそ心配になるほど無防備だ。今だって入ってきたのがオレじゃなかったらどうすんだよ。
「あー……きせぇ……?」
「あれ、起きちゃったっスか」
「おー……」
「もう、起きてください。寝込み襲われたらどうするんスか?」
「おまえは、んなこと、しねーだろ……」
それだけ言って先輩はまた瞼を閉じてしまう。
なんスかそれ。全ッ然やりますけど? なんなら今すぐ覆いかぶさって、くしゃくしゃになってるシャツ引ん剝いてやったっていいっスけど?
「もー……」
ずるい。そんなふうに言われちゃったら、オレはもう寝込みを襲うなんてことできやしない。だって先輩の無邪気な信頼を裏切るくらいなら、死んだほうがよっぽどマシだ。
「そーゆーの、わかって言ってるんスかねえ……」
そうだったらますますずるい。だけど返事があるわけもなく、オレはオレを骨抜きにした男の寝顔を黙って見つめるほかないのだった。
2018.8.18
ちかるさんからのリクエスト