時計の針は23時をちょっと回ろうとしている。
カチカチと時間を刻む音は、テレビもついていないひとりきりの部屋だとやけに響く。そんなことを知ったのはほんの数年前、真ちゃんと一緒に暮らすようになってからだ。実家じゃだいたい誰かいたから、そんなこと気づきもしなかった。
金曜の夜。大多数の人がハメを外しまくって飲んだくれる――っていうとちょっと言いすぎかもしんないけど、気持ち的にはそんな感じになる、楽しい楽しい時間帯。オレだって例外ではなく、明日明後日と会社に行かなくていいステキな身分だ。起床時間を気にして飲む量を制限しなくていいし、時間がないから後回しにしていた映画を見てもいい。
最高な状況なのにもかかわらず、オレのテンションは残念ながらそんなに上昇していない。オレが週末を楽しむために必要な要素が、決定的にひとつ足りない。
あーあ、とソファの上で伸びをする。我が愛しの同居人はまだ帰ってこない。ついでに言うと連絡もない。
仕事が忙しいらしい、ということは知っている。オレより二年遅れて社会人になった真ちゃんは、今では期待のルーキーだのなんだの言われてバリバリとお働きになっている。キセキの世代で秀徳の絶対的エースで、大学でも一、二を争う成績をおさめた真ちゃんなのだから当然だ。むしろ仕事ができずに社内のお荷物になってる真ちゃんとか想像できない。仮にそうなったとしても、死ぬほど努力してそんな不名誉な称号はすぐに投げ捨てるだろうけど。
だから、こうなることはわかっていた。いたんだけど、実際そうなったときじゃないとわからないことがある。たとえば、今の気持ちとか。
なあ真ちゃん。デキる男ってのは、残業も最低限にするもんなんだぜ?
……なーんて。オレだって社会人だから、いくらテキパキ仕事ができたって残業せざるをえない状況が発生することなんて日常茶飯事だと知っている。だから、真ちゃんにそんなこと死んだって言えないけど、言えないからこそ、心のすみっこでちょこっとそう思うことくらいは許してほしい。冷めきっちまったオレ作の夕飯に免じて。
玄関でがたんと音がした。勢いよく立ち上がっちゃったけど、ドアに飛びつきたい気持ちはなんとかこらえる。帰りをめちゃくちゃ待ってましたみたいなマネはしたくない。
いち、に、さん。ゆっくり数をかぞえて、ドアを開ける。おかえりと言うつもりだったのに、口から飛び出たのは笑い声だった。
「……なんだ」
「ひっ、いや、わり」
あまりにも真ちゃんがよれよれだったのがおかしい、と言ったら気を悪くするだろう。なんとか笑いたい感情を押し込めて今度こそ「おかえり」と言うと、苦り切った声で「ただいまなのだよ」と返ってきた。
「お疲れ」
「……疲れたのだよ」
やけに素直な返事だ。どうやらこれは本格的にお疲れらしい。
よろよろ、と効果音を入れたくなるような足取りで真ちゃんがソファに座り込む。オレンジ色の、やや古くなってきたソファがぎしりと鳴った。
「メシどーする?」
「……食べる」
「んじゃ温めとくから手洗ってこいよ」
返答がない。ふりかえると真ちゃんの頭がぐんと落ち込んでいる。オレはさっきの認識をちょっとあらためた。これは本格的に、そうとう、手ひどくお疲れのようだ。
この調子だと休日出勤はまちがいなしだろう。楽しい楽しい週末に会社でびっちり働きづめ、なんて。かわいそうな真ちゃん。ついでに恋人といちゃいちゃする休日をうばわれたオレもかわいそう。
「なぁ真ちゃん」
「……なんだ」
呼びかけに顔を上げた真ちゃんの顔色は悪い。よく見ればクマもできていて、そういえば最近こいつたいして寝てなかったっけ、と思い出す。
「マジですげー疲れてんな。大丈夫?」
「これしき、どうということはない」
かわいくない返事は軽く聞き流して、真ちゃんの前にひざまずく。やたら値が張ってたような気がするスーツのファスナーを下ろすと、下着が覗き見えた。
「おい、何をしている」
「わかんない?」
くたびれきった真ちゃんがあんまりにもかわいそうだから、一発慰めてあげんの。オレって優しい。
反応がにぶい真ちゃんは無視して、下着のすきまからずるりと性器をとりだす。ふにゃふにゃで力がない状態のこれをさわる機会はあんまりないから、ちょっと楽しい。いつも凶器かよって感じだもんな。
自分でもどうかと思うけどちょっとかわいい気がしてきて、すりすりと指の腹で撫でてみる。頭上で真ちゃんが息を詰める気配がした。
「……高尾。やめろ」
「やだ」
「やだではないのだよ。汚い。風呂に入ってからに、しろ」
ふっは。風呂に入ってからにしろ、だって。やってもらいたいって気持ちはあるんだ? そういうとこ、真ちゃんはツメが甘い。教えてやんねーけど。
指で何度も撫でながら、手のひらをぐっと押しつける。たったそれだけの動作で真ちゃんのそれは硬さを増した。本人に似て単純なのだ。
ゆるく立ち上がったちんこを握りこむと、真ちゃんが喉を鳴らす。
「ふは、お疲れのくせに元気じゃん」
「うるさ、い」
知ってんよ、疲れてるけど溜まってるんだろ。一緒に暮らしててそれくらいわからないはずがない。そもそも真ちゃんはひとりでしたがらないから、どのくらい抜いてないかの逆算は簡単だ。「高尾がいるのにひとりでする意味がわからないのだよ」なんて真顔で言い放つもんだから、オレとしては腹を抱えて笑うしかない。真ちゃんは、本当にさみしがりやで甘えんぼうだ。
右手を軽く上下させながら、顔を近づけていく。
高尾、と焦ったような声が聞こえたがもちろん無視。割れ目からぷくりと滲んでいる透明な液体を舌で舐めとると、頭をつかまれた。だけど本気の力じゃないから、ひきはがそうとする動きに反することは簡単で、一気に口に含むと真ちゃんの唸り声がした。
風呂に入っていない真ちゃんのちんこは、ちょっとだけ苦い、気がする。まあ、今はそれどころじゃないし、そんなんどうでもいいけど。唾液を塗りつけるように口のなかにあるものを舐めまわすと、どんどん硬くなっていく。下生えに鼻がくっつくくらい全部咥えこんでやりたいのに、スーツやらパンツやらが邪魔してうまくできない。ちゃんと全部脱がしてからすればよかった。
「高尾、っ」
真ちゃんの「高尾」にはいろんな意味が込められていて、今のところオレしか解読できない。さっきまでのは「ちょっと待て」だったけど、今のは「気持ちいい」だ。
ふふん、ちょっと舐めただけでそれかよ。あっさりオレに陥落されてくれる真ちゃんは本当にかわいい。かわいいから、もっとしてやりたくなる。
口の中に溜まった唾液やその他の液体を飲み下す。喉が動いたのに合わせて口を大きく窄めてやると「んっ」というめちゃくちゃかわいい声がした。真ちゃんこれ好きなんだよな。っていうかオレがずっとそうしてたから、好きになったのかもしんねーけど。オレの認識が正しければ、真ちゃんのを舐めたことがあるのはオレだけだ。そう思うのは、めちゃくちゃ気分がいい。
じゅる、と水音が響く。オレが頭を動かすたびにじゅぷ、じゅ、って音がするのは非常にえろくて腰にクる。合間に真ちゃんの押し殺し切れない喘ぎが混じるから、余計に。どっちもそこまでの大音じゃないはずなのに、もう時計の音なんか全然耳に入らないのが不思議だ。
「高尾……っ、もう、ほんとうに」
そんな切羽詰まったような声をされても、やめることはできない。だって今やめたら真ちゃん怒るだろ?
手を伸ばして根元にふれる。舌が届いていないはずのそこも湿っていて、これは汗のせいなのかオレの唾液のせいなのかどっちなのだろう、なんてどうでもいいことを考える。すこしきつめにそこを握ると、真ちゃんの声がとぎれた。
舌で鈴口をつっついて、手でしごいて。それでイかない男をオレは知らない。なーんて、真ちゃんにしかしたことないから他のヤツがどうかは知らねーけど、こうされて真ちゃんがイかないはずがない。ほら、真ちゃんの手が腹をさすりはじめた。なんでそんな仕草をするのかは謎だけど、これが真ちゃんのイくときの合図だ。
「だめ、だ、高尾、出る……っ」
オレの頭ひっつかんどいて、何がダメなんだか。トドメのつもりで強く吸い上げると、真ちゃんが苦しそうな艶のある声をあげてイッた。
咥内に叩きつけられる液体が熱い。ついでに量が多い。さらに言わせてもらうと苦い。ほんと溜まってたんだな。「真ちゃんの濃い……」とか言っちゃう? ぶは、AVかよ、冗談じゃねー。
「……何がおかしい」
ひとりで笑ってると、真ちゃんがじろりとにらんできた。でも頬は上気してるし目も潤んでるから迫力はない。っていうか、舐めるのに夢中になりすぎてイキ顔見るの忘れた。しまった、もったいないことした。
「やめろと言ったのに、バカめ」
「だって真ちゃんお疲れみたいだしー? 彼氏として慰めてやろっかなー、みたいな?」
またしてもにらまれてしまった。でもさ、実際悪くないと思うんだ。オレにフェラされてるあいだは、余計なこと考えらんないだろ? 仕事とか、休日出勤とか、睡眠時間とか、そういうこと。
頭からっぽにして、気持ちよくなってって、けっこうなリフレッシュだと思うんだけど、どうかな。
ってなことを言ってやりたいけど、なんかガチで真ちゃんを労わりたいみたいな感じが出そうだからやめておく。案外感動屋なオレの彼氏は、感極まると一気にデレデレになるので困る。オレの心臓がもたない。
「ま、すっきりしたっしょ? なんなら先に風呂行く? メシ用意しとくから」
「……おまえも来るのだよ」
「え、なんで? オレもうメシも風呂もすませたんだけど」
「オレを慰めてくれるんだろう」
へ。さっきまで大変かわいらしい顔をしていた彼氏さまは、なんだかやたらと不敵な笑みを浮かべている。
「え、や、だから今」
「一度で足りると思ったのか」
「え、えー……?」
一発じゃ足りねぇのお前。オレが困惑しているのが楽しいらしく、真ちゃんは上機嫌でスーツを脱ぎはじめる。
「いやでも、おまえ明日も早いんだろ? あんまよけーなことしないでさっさと寝たほうが」
「何を言っているのだよ」
ぐいと抱きよせられて、唇をふさがれる。オレさっき、風呂入ってない真ちゃんの舐めたし飲んだばっかなんだけど。という指摘を卑怯にも飲みこんで、真ちゃんの唇を味わう。しょうがねーだろ、久しぶりにキスされたんだから。
「……最近、ずっとこういうことができなかっただろう」
耳元でささやかれる声が、低くて甘い。いつもより数段に甘い。そしてオレはそれに格段に弱い。うっかりすると足がふらつきそうなくらいに。
「お前にもさみしい思いをさせた。週末で取り返すのだよ」
「別にさみしくなんて――って、週末?」
「明日から休みだろう」
「へ?」
休日出勤は? そうオレの顔に書いてあったのだろう。真ちゃんがおかしそうに口をゆがめた。
「残っていた仕事は全部片づけてやった。それで遅くなったのだよ」
「あー…………ソウデスカ」
オレの労わりは何だったんだよと言ってやりたいが、オレの勘違いだったんだから何も言えることがない。
恥ずかしさといたたまれなさと思いがけないうれしい報せがごちゃまぜになってパンク状態のオレは、楽しげな真ちゃんに腕を引かれて浴室に向かっている。
ああ、見える。月曜、ばっきばきに痛む体で出社する未来が。月曜は会議が多くて座ってる時間も長いから、ケツや腰が痛いのはできればご遠慮願いたいのだが。
勘弁してほしいと思いながらも、なぜかオレの口角は上がりっぱなしなのだった。
2016.1.19