うるわしきは翡翠のきみ

※観用少女パロ
 

 

 初めて足を踏み入れたその店は、オレの給料何か月分だよって感じのアンティークの家具や調度品でしつらえられていた。やわらかい色の照明で満たされた空間に、深い焦げ茶色の光沢を放つ椅子がいくつも置かれている。そこに、例の人形―観用少女たちは黙って座っていた。
 観用少女……通称プランツ。自分で動いたり表情を変えたりできる、命ある人形のことだ。この街では、プランツを手に入れるのが貴族のステータスという歴史があり、今でも金持ちのあいだでは垂涎のコレクターアイテムになっている。
 プランツは例外なくとびきり美しく、おまけにおそろしく高価だ。いかにも金持ちが己の豊かさと美意識をアピールするのにぴったりって感じ。だけど、その美しさに魂を奪われる人間も数知れずで、プランツに入れあげた結果不幸になったヤツはごろごろいるらしい。
 オレはもちろん、ステータスのためにプランツの店を訪れた好事家ではない。取引先の社長に連れられておっかなびっくり店内に足を踏み入れた、しがないサラリーマンだ。
「どうだね高尾くん、すばらしいだろう」
「はあ、すげー豪華っすね……」
 プランツが着ている洋服が。本物のオートクチュールかなんかなのだろう。どこもかしこも金かかってんなーという感想しか浮かばないのは、オレの美意識が貧弱なせいだろうか。
 もともと人形を愛でる趣味はない。とりわけこんなまだ子どもみたいな女の子の人形を家に置いてかいがいしく着せ替えさせたりご飯を食べさせたりなんてことは、まったくやりたくない。お人形遊びの楽しさはオレには一生理解できないんだろーな、と醒めた気持ちだ。
「この少女の髪の美しさを見たまえ。人間の女ではこうはいかん」
 社長は意気揚々と店内を回り、オレにプランツをひとりひとり紹介していく。ちょっと待て、全員紹介するつもりか。つーかおまえは店長か。激流のようなトークの合間に、「本当にお好きなんですね」と相槌を挟むのがやっとだ。
「ああ、すっかり彼女たちの美しさのとりこだよ」
「そんなにもお好きなら、お買いになればいいのでは? 社長なら現金一括で買えるでしょうに」
 ごくあたりまえのはずのオレの問いに、社長はわずかに表情を陰らせた。
「とても残念なことだがね。私はプランツに〝選ばれない〟人間なのだ」
「は……?」
「彼女たちは自分で持ち主を選ぶのだよ。私のように金と権力が好きという強欲な大人はどうにもお気に召さないらしい。その証拠に、ほら、誰一人目を開けないだろう?」
 そう言われて初めて、プランツが全員目を閉じていることに気づく。これはつまり心を閉ざしていますよという意思表示なのだろうか。さすが謎の人形、持ち主を選ぶとはなかなか生意気だ。
「本当に残念だよ」
 社長の笑顔が無理しているように見えて、ちょっと慌てる。いつもふてぶてしく自信たっぷりで納期も料金も断られないギリギリラインを突いてくるのがとてもうまく、つまり仕事をもらう側としては憎たらしい相手なのだが、そんな表情をされるとかわいそうに思えてきてしまって困る。
「いや、その、やっぱこういうのってすごいマニアックな趣味っていうか、選ばれるほうが少ないんじゃないっすか。ほら、オレも見向きもしてもらえねーし」
 な、と手近なプランツの顔を覗き込む。陶器みたいにすべすべの肌に深い緑色の髪。髪が長い子ばっかだけど、ショートカットの子もいるんだな。でもやっぱキレイだよな、睫毛なんか絹糸みたいな艶があって。何でできてんだろ。まさか人間の睫毛を使ってるなんてことはないだろうけど。つらつらとどうでもいいことを考えながら目の前の整った顔を眺めていると、突然プランツが目を開けた。髪の毛よりももっと複雑な色合いをした緑色の瞳がくわっと見開かれ、オレを射抜く。
「うわっ!?」
 あまりの迫力に驚いて後ずさる。こんな勇ましいプランツがいるのか。もっと儚げで繊細ってイメージだったけど。
「た、高尾くん……」
 社長が驚愕のまなざしをオレに向けてくる。いや、驚いたのはオレも同じだっつーの。なんでそんな目で見るわけ?
「驚きました」
「うひぇ!?」
 店内のどこにいたのか、水色の髪をした男がぬうっと現れた。ひょろひょろ細くて、髪も目も色素が薄くて、なんていうか存在感がない。誰。
「彼が人間を〝選ぶ〟とは思いませんでした」
「……は」
「彼がこの店に来て何年も経ちます。ボクにさえ心を開かず、食事とお風呂のとき以外は眠りつづけていたのに、人生って何があるかわかりませんね。さて、お会計はどうします? 現金でももちろんかまいませんが、二十年ローンまで組めますよ」
 お題はこのくらいで――男はさらさらと帳簿に何かを書きつけ、オレに突きつけた。そこにはゼロがたくさん並んだ数字が書かれている。
 意味を理解するのに三秒は要した。
 つまり。オレにこの観用少女を買え、と。
「……えぇええええ!!」
 無理です。そういう意味合いの叫びを完璧にスルーして、存在感のない男はオレを奥の部屋まで連行した。どうやらこいつが店主らしい。
 供されためちゃくちゃ香りのいいお茶をすすりながら、なんとか冷静に状況を把握しようと努める。ちなみに社長は帰った。オレをヒーローを見るような目で見つめ、絶対家に招待してほしいと懇願しながら。ううん。なんていうか、とても面倒なことになってしまった。
「観用少女は名前のとおり少女ですが、ごく稀に少年のプランツが生まれることがあります。その希少な少年プランツの中でも〝緑間〟は、名人と呼ばれる職人が丹精込めて育てた逸品。キセキと呼ばれる最高級品で、ものすごく貴重なプランツなんです」
「はあ……」
 その超貴重なプランツは完全に目が覚めたらしく、ずっとオレにひっついている。ものすごく美しくはあるけど、身長はオレの半分もないし、動いていると人間の子どもにしか見えない。とはいえ、腰や足にしがみつかれていると、なんか動物になつかれてしまった気分だけど。これが最高級品、ねえ。
「お世話は簡単です。一日三回、このミルクをあたためてあげるだけ。あとはこちらの砂糖菓子を週に一回ほど――」
「いや、あの、オレ、買うなんて一言も」
「買っていただかないと困ります」
 きっぱりと言いきって、店主はオレをひたりと見据える。薄い水色の瞳からは感情は読み取れない。怖い。
「プランツはわがままでして、一度人間を選んでしまうと他の人間には目もくれなくなるんです」
「はあ……」
「そのプランツはお客様のことを選んでしまいました。つまり、もう彼はあなた以外に売れないということなんです。このまま店に置いておくと枯れます。つまり、死にます」
「な、なんだって……」
 新手の押し売りか。ふらりと店に入ったら選ばれたと言われ、高額商品を絶対に買わなければいけない、とか。
「や、マジで無理ですって。オレはごく普通のサラリーマンだし、家だって1DKのアパートだし、給料だって、こんなめちゃくちゃ高いプランツを養うような……」
 プランツそのものも目玉が飛び出そうな金額だけど、ミルクと砂糖菓子も見た感じめちゃくちゃ高そうだ。洋服だって、こんな繊細なレースがたっぷりついたシルクのブラウス、とんでもない値段にちがいない。何着も買って着せ替えさせるなんてとてもできない。破産する。
「それでも、もうそのプランツはあなたのものなんです」
 なるべくお安くしますから。店主の声はオレの事情を汲みますよというように優しい。それでも決心できずに、腰に巻きついてるプランツを引き剥がしてため息をつく。興味がないものに大金を払うなんて真似ができるのは、金持ちだけだ。このプランツを買う金があるなら、オレは車を買うか引っ越すかしたい。
 プランツはオレたちの話を理解しているのかいないのか、何も言わずにただじっとオレを見つめている。翡翠やエメラルドのように複雑な光を放つ瞳はすこしもの言いたげだ。ほんのすこし憂いを帯びているようにも見えて、おそろしいことに色気まで感じてしまう。宝石みたいな瞳をふちどる睫毛は長く、すべすべの白い頬に影を落としている。深い森みたいな髪の毛は細く絹糸みたいにつやつやで、うんと気をつけて梳かしてやらないとすぐにもつれてしまいそうだ。
「……キレイだな、おまえ」
 こんなにキレイなものに選ばれた、というのは悪い気はしない。つい優越感をくすぐられてしまう。誘われるように指を伸ばし、なめらかそうな頬にそっとふれると、ほのかにあたたかい。本当に生きているのだと実感して思わず息を飲む。これが人形だなんて、とても信じられない。
 プランツがオレを見上げた。緑色の瞳が、照明の光を受けて南国の海みたいな色にきらめく。今まで見たどんな宝石よりも美しい瞳には、まっすぐすぎるくらいの信頼や愛情が満ちていた。まるで、赤ちゃんが母親を見つめるような。そんなふうに見つめられた経験なんかなく、心臓を貫かれたような心地になる。言葉を失ったオレに、プランツはおずおずとはにかむように、だけど花が咲いたみたいな表情で笑った。
「ああ、〝緑間〟の笑顔なんて初めて見ました。やっぱり心を開いた人間がいないとだめなんですね。彼、特に気難しくって」
「……す」
「え?」
「買います。いや、買わせてください」
 いやいやいや、何言っちゃってんのオレ。頭の奥の方でそう叫ぶのはきっとさっきまでのオレだ。今この瞬間からのオレはもうこのプランツ、いや、この子を家に連れて帰ることしか念頭にない。だってあんなふうに見つめられて、笑いかけられて、オレには買えませんなんて言って置いていけるわけがない。枯らす? とんでもない! そんなむごいこと許されるわけがない。
「わかりました。それでしたらこの書類にサインを。あとミルクと砂糖菓子と着替えもご購入をおすすめします。ああ、シャンプーとコンディショナー、化粧水はサービスいたしますのでぜひお試しください」
 オレの心変わりにもたいして驚くことなく、店主はてきぱきと書類やら商品やらを持ち出して机に並べていく。
「緑間、真太郎……」
 売買契約書に書かれた名前を指でなぞる。プランツには、こんな人間みたいな名前がついているのか。知らなかった。
「緑間というのはシリーズ名です。とある高名な職人が育てるプランツはすべて〝緑間〟と呼ばれます。真太郎というのが、いわゆる名前ですね。もちろんお客様のほうで変更も可能ですよ」
「いや、そのままでいいです。なんかこいつに似合ってる感じがするんで」
 特に真実の真という字がいい。あの瞳のまっすぐさをそのまま表してるみたいで。
「真太郎か。じゃあ……真ちゃん、かな。よろしくな」
 そう呼びかけると、オレのプランツはこのうえなくうれしそうに微笑んだのだった。
 
 オレの生活は一変した。
 何よりも大事なのは真ちゃんに不自由させないこと。加えて真ちゃんの引っ越し費用(購入代金と呼ぶことさえ抵抗を感じるようになったオレであった)の返済もある。とにかく働いて金を稼ぐ必要があるのだ。
 明確な目標ができたオレは、以前にもましてバリバリ働いた。かといって深夜まで残業するような真似はしない。真ちゃんがひとりきりでぽつんと待っているなんて、想像するだけで胸が苦しくなる。遅く帰っても真ちゃんは何も言わないけれど、ホントはめちゃくちゃさみしがっていることがわからないようなオレではない。
 定時で帰り、かつ結果をばしばし出すオレの働き方はおおいに評価され、半年のあいだにトントン拍子に昇格した。自分の意思であれこれ動いて、それが評価されると仕事が一気に楽しくなった。そうなるとやる気が出るし、やる気が出れば成果が上がるし、完全にいい流れが循環している。仕事をしていてこんなに充実感を覚えたことは今までない。全部真ちゃんのおかげだ。
「真ちゃーん、たっだいま~。帰ったよ~」
 鍵を開けるのももどかしく、がちゃがちゃ音を立ててドアを開くと、リビングから真ちゃんが駆けてきた。腕を思いっきり広げると、うれしそうに笑みをいっぱいに浮かべた真ちゃんが胸に飛び込んできてくれて、オレは世界一幸せな男になる。このにやけきった顔、他人には見せられない。
「うへへ、会いたかったー。今日もお留守番させてごめんな。んー、やっぱりその服似合うな」
 先週買ったグレーのシャツと灰緑のカーディガンと濃い緑の膝丈のズボンを着た真ちゃんは、貴族の男の子みたいにかわいくて美しい。そろそろ衣装がタンスに収まりきらなくなってきたから、新しいタンスも買わなきゃな。
「かわいいよ」
 心からの賛辞を贈ると、真ちゃんはちょっと不満げな顔をする。毎晩化粧水と乳液とクリームできちんとお手入れしたすべすべのほっぺがぷくりと膨れるのを見てオレは相好を崩してしまう。真ちゃんはしゃべらないし物静かだしあんまり笑わないけど、表情やしぐさが伝えてくる感情は思いのほか豊かで、一緒にいてまったく飽きることがない。一風変わったとこもあって、知れば知るほどものすごくかわいい。
「ごめんごめん、かっこいいよ、だよな」
 最近の真ちゃんはかわいいよりもかっこいいと言われることを好む。こういうとこ男の子なんだよな、とは思うものの、やっぱりオレの中ではかわいいが勝ってしまう。だってどうやったってかわいいのだ。さらさらの髪、くりくりの大きな目にうんと長い睫毛、長くてしなやかな指に反してやわらかい手のひら、細い首、ぺたんこのお腹、すんなり伸びた長い脚。美しさを凝縮したみたいな真ちゃん。彼がオレを選んだという事実は、思い出すたびにオレを有頂天にさせる。こんなに幸せでいいんでしょうか神さま。
「さ、腹減ったろ? 食事にしような」
 プランツ専用のミルクが入った瓶を冷蔵庫から取り出す。真ちゃんはおとなしくて行儀がいいけど、けっこうわがままで頑固だ。どんなときでも全身のお手入れを欠かさないよう要求してくるし、洋服の好みもうるさいし、ミルクの温度にも手厳しい。ちょっとでも熱かったりぬるかったりすると一切手をつけなくなってしまうのだ。
 どんなわがままを言われても、きっとオレはすべてをゆるしてしまうだろう。あの笑顔を見せられたらきっと誰だってそうなる。あのとんでもない愛らしさに心動かさない人間なんていない。まあ、他の人間がいると真ちゃんは店にいたときのように目を閉じて、人形に戻っちゃうんだけど。
 すっかりミルクを温めるプロになったオレは、熱すぎずぬるすぎず、絶妙な温度のミルクを真ちゃん専用のティーカップに注ぐ。うん、今日も完璧。なのに真ちゃんは形のいい眉をくっとひそめてしまった。ああ、困ったな、とオレは頭をかく。
「真ちゃーん……アレは、ダメなんだって」
 真ちゃんは唇を尖らせ、いかにも不満そうにそっぽを向いた。でもダメなものはダメなのだ。オレだって甘やかすばっかりじゃない。びしっと締めるとこは締めないと。
「アレはもうダメ。約束したろ? 忘れちゃった? オレはさ、真ちゃんにずっとずっと元気でいてほしいんだよ。な?」
 優しく髪を撫でながら諭すと、真ちゃんはべそをかきそうな表情になった。思わずぐうっと唸ったオレのスーツの袖をちいさくひっぱり、じっと見つめる。潤んだ瞳が「どうしてもダメ……?」と問いかけていた。
「あー! もう!」
 あっけなく敗北したオレはふたたび冷蔵庫の扉を開け、小さな缶を取り出した。途端に真ちゃんは表情を明るくして、オレの足にきゅっと抱きつく。ああ、かわいい。
「もー、ほんのちょっとだかんな」
 なんて言いつつもオレの顔はでれでれにゆるみきっている。だいたい、ダメって言ってんのに冷蔵庫に例のブツを保存している時点でもう負けている。
 缶のプルトップを開け、中身をほんの一滴、二滴、ティーカップに落とす。先週、出来心でおしるこを飲ませてみたら、真ちゃんはものすごくお気に召してしまったのだ。それから毎日、ミルクにおしるこを混ぜたものを所望されている。
「絶対に、何があってもミルクと砂糖菓子以外を与えてはいけません。絶対ですよ」
 店主の声がよみがえる。なんでダメかは聞かなかったけど、たぶん人間の食いもんはプランツの体には毒なんだろう。
「マジで病気になったりしたら困るからな……。真ちゃん、今日で最後だからな。もうおしるこはおしまい!」
 昨日と同じことを言いながらティーカップを渡すと、真ちゃんはにっこり笑った。その心の芯まで溶かすような笑顔に思考はぶっ飛び、細い体を思いっきり抱きしめる。もう、この子なしの生活なんてオレには考えられない。
「しんちゃーん。すき、すきぃ~……」
 こんなにかわいい子見たことない。本当に世界一だよ。歯の浮くようなセリフを言うオレを、真ちゃんは腕を伸ばしてぎゅうっと抱きしめ返してくれる。そのすんなりした腕を包む上等のシャツが、きちんと採寸して買ったにもかかわらずちょっと短くなっていることにオレは気づかなかった。
 そう、オレはまだ知らない。
 ミルクと砂糖菓子以外を与えたプランツが、どうなってしまうのかを。
 一か月後、オレと同じくらいの背丈にまで成長した真ちゃんに、「高尾、オレのお嫁さんになるのだよ」と言われる未来を。

 

 

 


2020.11.23
『高尾とバースデーケーキを食べるのだよ!』無配