「カフェを始めるのだよ」と緑間は言った。
うららかな日曜、時刻は午前十時。朝でもなく昼でもない時間にだらだらとメシを食ってるのは、まあ、昨日の夜ふたりで夜更かししたせいだ。
「なんだそのアホ面は」
いや、驚いてんだよ。そう言い返したいがあいにく口の中にはトーストがめいっぱい詰まっている。お気に入りの食パンをカリッカリに焼いて、たっぷりバターを塗って、ママレードジャムをがっつり乗せたやつだ。平日の朝食なんて腹に詰め込むみたいな感じで味なんてほとんど覚えちゃいないから、こうやってトーストをゆっくり味わえる休日をオレは心から愛している。
「カフェ、ねえ」
オレの言葉にうなずく緑間の表情は至極真面目といった感じで、冗談を言ってるふうには見えない。まあ、もともとそんな冗談言うタイプじゃねーんだけど。
「……だよなあ」
自分の思考に自分でうなずいてしまう。緑間は、やると言ったらやる男だ。仕事に嫌気がさした日、もう会社やめて南の島で自給自足の生活するわ~とか言っちゃうオレとはちがう。つまり、カフェを始めると言った以上、こいつはカフェを始めるのだ。
「……いや、マジで? つかなんでカフェ?」
「ようやく目が覚めてきたのかバカめ」
働き方改革だ、とどことなく得意げに言われて、オレはまだ寝ぼけてるのかもしれないと不安になる。久しぶりに緑間が何を言っているのかわからない。
「働き方を改革するとカフェ経営になんの?」
「今まで、与えられた職務を定年までまっとうするのが当然だと思っていた。だが、それは少々狭い価値観だったのではないかと思うのだよ。世界は広い。人生は長い。その中で、本当にやりたいこととは何か考えた」
唐突にはじまった演説を聞きながら目玉焼きの黄身を箸でつつく。いい具合に半熟の黄身がとろりと流れて白身に広がっていくところをすばやく箸で切り分け、口に入れる。うまい。我ながら今日の目玉焼きはいい出来だ。
飲食店の経営は難しいって聞くけど、緑間がやりたいことに反対する気はない。なんせ、こいつは緑間真太郎だ。なんだかんだ、うまくやるだろう。万一、困ったことになったらオレが食わせてやったって全然いいし。
恋人の演説は「組織に属することなく生きていく力を身につけることこそ人事」という主張から、「店舗の目星はつけてある」だの「厳選した紅茶の茶葉を現地の農場から仕入れて」といった実践的な計画に移っている。ふんふんと聞いていたオレだったが、「メニューはおまえに任せるのだよ」と言われて思いきりコーヒーを噴き出した。
「紅茶に合うものがいい。軽食と、ケーキなどの菓子だな」
「ちょ、ちょちょちょ、ちょい待ち! オレもやんの!?」
何を当たり前のことを、とでも言いたげに緑間が眉を上げる。
「オレに金を取れるような料理がつくれるとでも?」
「いやそれは……つくれねーだろうけどさあ」
「おまえの料理は悪くないのだよ」
オレ特製のパンケーキ――バターたっぷり、蜂蜜もたっぷり、冷凍ラズベリーまで乗ってる豪華版――を緑間は行儀よく切り分けて口に運んでいる。うん、まあ、それおまえの好みに合わせてっからな、それでおいしくないとか言われたらキレるわ。
「少々それなりの料理学校に通えば問題はないだろう」
「おいおーい……」
ツッコミが追いつかない。オレの今後についてもきっちり(勝手に)計画ずみってか。さすがエース様抜かりない。そうだよこいつ空前絶後に意味不明のわがままエースだった! 社会人になってなんとなく忘れてたけど、そういうやつだった!
「すぐ会社やめれるわけねーだろ……」
「わかっているのだよ。準備はオレがするから心配はいらん。おまえがつつがなく退職して厨房に入れるようになるまでにすべて終わらせておく。開店目標は来年の夏だ」
「あーもーそこまでスケジュール立ってんのね……」
ずるずると脱力してテーブルに突っ伏す。このくたくたした疲労感も久しぶりだ。高校のころは毎日のようにこんな感じだったっけ。なつかしい。緑間の奇行についていけるのは高尾だけだーなんて言われていい気になってたっけ。
そう、オレが緑間の相棒だ。変人でわがままで、まじめなくせにどっかチャンネルがズレてるこいつが背中を任せられるのは、生涯でただひとり。高尾和成だけなのだ。
目を閉じて考えてみる。狭いけど品のあるインテリアでまとめられた、おしゃれな店内。緑間が人事を尽くして選んだ紅茶の清々しい香りと、オレの焼いた甘ったるいパンケーキの匂い。オレとおそろいのエプロンなんかして、いらっしゃいませとお客さんを出迎える愛想のない店長――
やばい。めちゃくちゃ、おもしろそうだ。
「高尾」
顔をあげると、仏頂面の裏に不安を隠している緑間と視線がぶつかる。思わず噴き出した。なんだよ、そんだけがっつりプラン練っといて、オレが了承しなかったらなんて考えてるわけ?
「真ちゃん。カフェやりたいホントの理由は?」
それ言ったら、うなずいてやる。言外にそう匂わせると緑間は困ったように眉を寄せた。でも逃がしてやんない。
「…………おまえと」
「うん」
「共に、何かひとつのことを成し遂げる。そういう人生を送りたいのだよ」
オレにとって最高の口説き文句だ。うん、満点。
「……しょうがねえなあ!」
2019.8.25
『エース様のとっておき』無配