人生とは、ままならないものである。
緑間真太郎がその真実に気づいたのはつい最近のことだ。
十八で気づくのが遅いのか早いのかはわからないし、興味もない。ただ、この発見は緑間にとって非常に衝撃的なものだった。なんせ、すべてのできごとは人事を尽くすことで望む方向に変えられる――なんなら捻じ曲げられる――と信じていたからだ。
けれど。
「ぁ、ん、そこ、そこ、すご、いい、いいよぉ」
緑間の上にまたがり、あられもない姿でとんでもない声をあげながら腰をゆすっているのは、相棒だ。相棒で、チームメイトで、恋人の、高尾和成だ。
「あ、ふぁ、しんちゃ……っ」
出会ったころから変わらないふざけた呼び名は、こういうときとてつもない破壊力をもって緑間を打つ。びりびりと鼓膜を叩き、脳を揺さぶり、あちこちの神経をおかしくさせる。おかげで緑間の理性は体から切り離され、どこか手の届かないところに飛んでいってしまうのだ。
「く、高尾……ッ」
理性がいなくなってしまった体に残るのは、思い返すと頭を抱えたくなるほどのあさましい欲望だ。きゅうきゅうと熱くやわらかく締めつけられている自分の性器。それをもっと濡れた肉壁に擦りつけたい。締めつけられたい。思いきり、射精したい。人にはけして言えない願望ばかりが頭を占めつくし、緑間をただの獣に変えていく。
「あぁ、あ、も、いくっ、ぁ、だめ、ああっ」
甲高い嬌声はとろとろに濡れてあまりにも甘い。一瞬、欲望に埋め尽くされた思考の隅で、こいつどこからその声を出しているのだよという思いがちらつくほどに。
普段からはとても想像できない声だ。人には聞かせられない、と緑間はいつも思う。もっとも、聞かせてやるつもりなどひとかけらもなかったが。
「しん、ちゃ、いく、いくぅ、あ、ぁあ、あぁんっ」
切羽詰まったような声をあげ、高尾がおおげさなほどに腰を振りたくって絶頂を迎える。ローションや先走りなんかの液体にまみれ、掻きまわされて充血したそこが信じられない強さで収縮し、緑間に抱きついてきた。
記憶にあるかぎり、これに勝てたことは一度もない。勝負ではないと理解しているが毎回屈してしまうのはなんだか癪なので、今日も歯を食いしばって堪えようとこころみる。しかし結局耐えきれずに勢いよく欲望をぶちまけることになった。
「ぁ……あン……」
緑間は射精しているあいだ、微動だにしない。それにも関わらず高尾はうっとりしたように喘ぐものだから、中で射精されるというのは気持ちがいいものなのだろうかと緑間はこっそり訝しんでいる。きちんとゴムはつけているのだが。
「…………はぁ……」
すべて、一滴残らず最後まで出し切る。このときの解放感といったら言葉にならない。しかし今日も、緑間に余韻を楽しむ暇は与えられなかった。
「は~、出した出した。すっきりしたー」
さきほどの雰囲気をぶち壊す、間の抜けた声。さっきまでの壮絶な色気はどこへやら、高尾はいつもどおり軽薄そうで底が見えない笑みを浮かべて起き上がり、てきぱきと後始末をはじめていく。
「何ぼーっとしてんだよ?」
「あ、ああ」
あちこちにキスマークをつけ、精液にまみれている高尾を眺めていたいのだ、などとは言えない。重たい疲労感をなんとか振り切ってゴムを外し、シャツのボタンを留めていると、ぎしりとベッドが揺れた。顔をあげると、ベッドから降りた高尾がジャンパーを拾い上げている。
「高尾」
「じゃーな。えっと、来週の土曜はバイトだから……日曜は?」
「あ、ああ。オレも日曜なら予定がないのだよ」
「りょーかい」
手をひらりと振るのはまぎれもなく別れの合図だ。待て、とすこし慌てて緑間もベッドから降りる。
「なんだよ?」
「いや…………。外は冷えるのだよ。つけていけ」
もうすこしここにいてほしい、と素直に言える緑間ではなかった。しかたなく、ソファに投げ捨てていた自分のマフラーを恋人の首に巻いてやると、高尾はけらけらと笑った。
「ぶふ、おかんかよ」
「うるさい」
「ま、いーや。さんきゅーな!」
そう言って高尾は元気に部屋を出ていった。ぐちゃぐちゃのシーツや汚れたタオルなんかがあちこちに散乱する部屋にひとり取り残され、緑間はため息をつく。
今日も、引き止められなかった。
つきあうようになってから数ヶ月、高尾は緑間の予想以上に淡泊だった。
キスもセックスも拒まれはしないけれど、すぐに離れていってしまう。緑間がつたないながらもそういう雰囲気を醸し出すと、必ずスルーする。高尾のほうから手をつないできたり抱きしめてきたことはほとんどない。
取り立てて高尾が恋愛に関して情熱的だと思っていたわけではないが、日頃むやみやたらにスキンシップをとるタイプであることを考えると、ちょっと嫌われているのではと思うような態度だ。まあ、緑間はそこで嫌われているなどとは考えないのだが。
(ピロートーク、というものもしていないな)
映画や小説なんかを見るかぎりでは、セックスを終えた恋人同士はベッドの中で抱きあって他愛もない会話をしたりじゃれあったりしていることが多い。
(曲がりなりにも恋人同士なのだから、そういう時間があってもいい、はずなのだよ)
唯一残された情事のなごりである汚れたシーツをベッドから剥がしながら、緑間はまたため息をつく。恋愛に疎いだのサルだの言われる緑間だって、そういう甘い時間というものに憧れがなくはないのだ。
人生は、ままならない。何年も思い焦がれた相手とようやく結ばれても、それですべてが完璧に満たされるわけではなかったのだ。
(……人事を尽くすのだよ)
だけどこれしきのことでへこたれるなどあってはならない。きっと、人事が足りていないのだ。緑間に恋人としての何かが足りていないから、高尾もきっとそういう態度をとる気にならないのだ。
自分の望みはわかっていて、叶えるのが不可能ではない状況にいる。ならば、己を磨いて研鑽を積んでいくだけ。とてもかんたんな話だ。
(見ていろ、高尾)
障害があったほうが恋愛は燃えると言ったのは誰だったか。ひとりで汚れものの処理をするというむなしい作業をしていても、緑間の口の端に浮かぶのは笑みだった。
ばたんと玄関の扉を閉める。そこで高尾のスイッチが切れた。
「~~~むり……」
ずるずると扉にもたれかかりながらしゃがみこむ。さきほどまで酷使していた腰や尻なんかがじんじんと痛むが、それが却って高尾の頬を熱くさせる。鏡で見たらきっと熟れたりんごのように真っ赤になっているだろう。
(むりむりむり、ほんと、むり)
緑間の恋人になって数ヶ月、彼は高尾の想像以上に情熱的だった。
キスもセックスも自発的に求めてくるし、へたくそではあるけれど恋人同士らしい空気をつくろうと努力してくれるし、手をつないだり抱きしめてきたりといったスキンシップも積極的だ。普段のクールな態度からはとても想像がつかなくて、ただでさえいっぱいいっぱいだった高尾の容量は完全にオーバーしている。
(あんなにカッコいいとか聞いてないっつーのマジで……)
つきあうことになったからといって、特に何も変わらないとタカをくくっていた。緑間が恋愛慣れしているとはとても思えなかったし、高尾だっていきなり恋人にシフトチェンジできる自信はこれっぽっちもなかったからだ。
それがどうだ。つきあうことになった次の日から、緑間は完璧に彼氏モードになってしまった。出かけるときは迎えに来るし、やたらと荷物を持とうとするし、高尾の体調を気遣って予定を変更しようとしたりする。
いつもの高尾だったら、オレは女子じゃねーよ! とでも言ってキレていた。しかし完璧な紳士と化した緑間の態度に、あろうことか高尾は胸を高鳴らせている。それだけではなく、夜な夜な反芻しては身悶えしている。
だってずっと前から好きだったのだ。高1で出会ってあっというまに恋に落ちて、叶うわけないと自分に言い聞かせながら必死で気持ちを殺して、もうこうなりゃ一生親友の座に君臨してやると開き直っていたら緑間に告白されたのだ。有頂天にもなる。
できることなら、告白された日の一切合切をあますところなく記録しておきたい。脳が記憶している事柄を映像化する技術が登場するマンガを妹の部屋で読んだことがあるが、あれが実用化したらまちがいなく告白された日のことを映像にしてもらうだろう。
(オレほんと……もー……)
こんなことを考えてばかりで気色悪い、という自覚はずいぶん前からある。緑間の一挙手一投足を思い出してはせつない気持ちになってみたり、緑間のささいな言動から自分への好意を拾い出そうとやっきになってみたり、緑間の紳士的な態度に胸をときめかせてみたり。まるで恋する乙女だ。別に女性になりたいわけではないし、女性として緑間に愛されたいわけでもない。いつもの自分のままでいたいのに、ちょっと気を抜くとたちまちふにゃふにゃのぐにゃぐにゃになってしまう。
(それじゃダメなんだっつの。真ちゃんが好きになったオレは、きっとそんなんじゃない)
相手は緑間だ。〝人事を尽くす〟がモットーの、自分の道は自分で切り開く男だ。ふにゃふにゃになっている高尾なんて好きにならないに決まっている。緑間が好きになったのは、きっと不撓不屈を胸に、3年間バスケにひたむきになっていた高尾なのだ。
(今日もちゃんとできてた、よな?)
それとなく次の約束も取り付けたのだし、まず大きなミスなく一日を終えたといってもいいだろう。
緑間のまえでの態度には細心の注意を払っている高尾だ。まちがっても顔を真っ赤にして固まったりうろたえたりしないようにいつも全力をかたむけている。今日もきちんとふるまえてたはずだ。つきあうまえの、そこそこいい感じにかっこよかったはずの高尾和成らしく。
痛む腰を抑えつつ立ち上がる。早く風呂に入りたかった。かんたんに拭いたとはいえ、高尾の体内にはまだローションやら何やらが残っている。
(今日の真ちゃんも、すごかった)
よろよろと浴室に向かいながら激しかったセックスを思い返すとまた頬が熱くなってくる。性的なことにはまるで関心がなさそうな緑間が、あんなふうになるなんて誰が知っているだろう。この世で高尾しか知らないのだと思うと、熱いものがグッとこみあげてきて飛びあがりそうになる。世界中に自慢して回りたいような、大事に自分の胸の内だけにしまっておきたいような、複雑な気分だ。
(真ちゃん)
愛しあうときの緑間はいつだって情熱的だ。熱くせつなげなまなざしで高尾を見つめ、慕わしげな声で甘く高尾の名を呼ぶ。ふれてくる手や唇は心臓が止まりそうなほど優しく、高尾の中に分け入ってくる性器は苦しいくらいに熱い。それでいて高尾をゆさぶり、搔きまわすしぐさはとても荒々しいからたまらない。あの緑間が、おそらく高尾を抱くのにも人事を尽くしている緑間が、我を忘れたように激しく腰を振っているのだ。思い出すと体の芯がまた熱く疼いてきてしまう。
(真ちゃんも、ちゃんと気持ちよかったかな)
毎回気にかかってしかたないことを、結局今日も尋ねることができなかった。
(オレは、めちゃくちゃいいけど)
高尾は女性ではないから、セックスにはいろいろと面倒な手順が要る。だけど緑間はいつもおどろくべき根気強さで高尾の体をほぐしてゆるめ、ひとかけらの痛みもないようにしてくれている。それに応えられるような、不便さを超えてあまりあるような快感を与えたいと高尾はいつも願っている。だけどそれを実現できているのか確かめられたことは一度もない。いつものように軽い調子で訊けばいいことはわかっているのに、どうしてもできないのだ。
(……気持ちいいのだよ、って言われなかったら、とか)
緑間のことだから素直にそう言うことはないだろうけど、表情を見れば本心がどうなのかなんて高尾にはすぐわかる。もし緑間の顔に陰りがあったら、きっと立ち直れない。
(ほんとダセぇよな……)
わかっていても思考というものはなかなか変えられない。自分に自信がないせいだということはわかっているが、こればかりはどうしたらいいのかわからずにいる。バスケならもっと話は簡単で、たくさん練習をすればすむのだけれど。
浴室の扉を開け、マフラーを外そうとして動きを止める。緑間のマフラー。いつだったか、〝アルパカとウールでできたマフラー〟がラッキーアイテムに指定され、あちこち店を回って手に入れたものだ。途中で緑間がアルパカとウールの割合が半々でないとだめなのだよ、などと言い出したから捜索が難航したことを覚えている。
ふかふかとやわらかいグレーのマフラーに顔を埋めると、わずかに緑間の匂いがする。つけていけ、と言った声はいつものように不愛想だったけれど高尾の首にマフラーを巻く手つきはとても優しかった。
(優しんだ、真ちゃん)
胸をきゅうきゅうと締めつけられるせつない甘さをいっぱいに吸い込んで、高尾は目を閉じる。
すごく好きだ、と緑間にきちんと告げられるようになるには、まだまだ時間がかかりそうだった。
なんということだ。
いつもの道を歩きながら、緑間は猛烈に悔いていた。今までの己の迂闊さ、人事を尽くせていなかった態度に。
(ぬかったのだよ……!)
人事を尽くしていたつもりだった。思いを告げ、交際を乞うて高尾の了承を得たその日から、緑間は恋人としても完璧であろうと誓い、努力を怠ったことはなかった。だが、決定的に足りていない要素があったなんて。しかも他人から指摘されるまで気づけなかったときている。痛恨の極みというほかない。
(よりによって黒子に気づかされるとはな、クソ)
1限から6限までみっちり詰まった授業を終え、新宿にある大きな書店に寄った。そこで偶然、黒子に遭遇したのだ。
「お久しぶりです。高尾君は元気ですか」
「元気なのだよ」
あいかわらずの表情のない瞳と意図の読めない声で何を考えているかわからないが、以前ほど気に入らないとは思わない。素直にうなずくと、黒子の瞳が瞬いた。
「そうですか。あまり振り回したらダメですよ」
「振り回してなどいないのだよ!」
「はあ」
「なんなのだよ、その顔は」
「別に。緑間君はそう思っていても、高尾君はどうなのかなと思って」
「……は」
「緑間君って、他人からどう思われるかについて無頓着じゃないですか。だから、日ごろの行いが高尾君にどう思われているか本当に理解しているのかと思いまして」
なかなか辛辣なことを言われているが、緑間の頭の中はそれどころではなかった。黒子の言葉が、電流のように全身をばちばちと飛び交っていたからだ。
高尾がどう思っているか。高尾が、緑間のことを、緑間のふるまいをどう思っているか。
(――考えたこともなかったのだよ)
いくら自分では完璧な恋人になったつもりでも、高尾にとってはそうではないかもしれない。それでは意味がない。バスケや勉強は自分の能力が向上すればそれでいいけれど、恋人は相手があってこそのもの。自己満足ではだめなのだ。
(オレに不足があるから、高尾も)
あまり恋人らしいふるまいをしてくれないのかもしれない。もしかしたら、恋人として至らない緑間のことを、きちんと恋人として認識できていないのかも。だからいつまでも淡泊な態度なのだ。
そう思うといてもたってもいられなかった。歩きながらスマホを取り出し、通話履歴から高尾の番号を呼び出す。
高尾はいつもどおり、2コールくらいで電話に出た。こういうところは律儀なのだよ、と内心で恋人を評価する。
『……もしもし?』
「高尾、すぐに来い」
『え? いや、今何時だと』
「明日は休みで、バイトもないのだろう? 今も家にいるはずだ。来れないことはないはずなのだよ」
「そりゃ、まあ」
「早く来い」
「……わかった」
すこしふてくされたような声で電話が切れる。もしかしたら怒らせたかもしれないが、緑間にはそれを気にするだけの余裕がなかった。
「……なんだよ。明日のラッキーアイテムやべえの?」
電話から数十分、緑間の予想よりも早い時間に高尾は到着した。いつもより幾分かそっけない気はするが、やはりそれを気にするだけの余裕はない。
「高尾」
「なんだよ、こえー顔して。とりあえず入れてよ。寒い」
返事も聞かず靴を脱いで玄関をあがり、階段をのぼって緑間の部屋に向かっていく高尾の後ろ姿を見て、深呼吸をする。玄関先でしていい話ではなかった。落ち着け、と自分に言い聞かせる。
「で?」
部屋に入り、ベッドに腰かけた高尾が本題をうながす。あらためて訊かれると、どう話を切り出せばいいのかわからなくなる。眉根を寄せて適切な言葉を探し出そうとしていると、同じような険しさで高尾の眉も寄った。
「話しづらいことかよ」
「え。あ、ああ、その、なんというか」
「――言っとくけど」
ぎゅ、と高尾が拳を握りしめたのが見える。それがわずかに震えているように見えて緑間は首を傾げた。
「別れ話なら、聞かねーから」
「は」
予想もしていなかった単語に目を丸くすると、高尾の肩から目に見えて力が抜けた。
「……ぶは、ちがった?」
「ちがうのだよ」
高尾はときどき突拍子もないことを言い出す。こちらはどきどきと緊張で心臓が高鳴ってそれどころではないというのに。こほんと咳ばらいをひとつして、緑間は高尾の隣に座った。
「高尾」
「なーに」
「オレは、その。…………おまえにふさわしい恋人になれているだろうか」
「は」
不思議なもので、一度言葉にしてしまうとつっかえていたものがとれたように気持ちが軽くなった。すうっと息を吸い込み、緑間は高尾を見据えた。
「オレは、人事を尽くしているつもりだったのだよ。おまえの恋人として完璧であるように。努力は怠っていないつもりだった。だが、おまえがオレにどういう評価を下しているのか、考慮したことがなかった」
「ちょ」
「それではダメなのだよ。オレは、おまえが好きだ。世界でいちばん幸せにしてやりたいと思っているし、オレで叶えられる望みはすべて叶えてやりたい。こんなにも愛していると思える存在など、おまえ以外にはいないのだよ。だから、だから……」
胸の内にこみあげる熱いものを言葉にするにつれて、高尾がどんどんあとずさりをしていく。目を極限まで見開いて、ずいぶん変な表情だ、と緑間は思った。
「おい、聞いているのか。なぜ逃げるのだよ」
「に、逃げてなんて」
「いいから動くな。黙って話を聞け」
高尾の腕を掴んでひきよせ、ベッドに押し倒す。体重をかけると高尾はぴたりと動かなくなった。
「高尾。オレはおまえに、きちんと思いを伝えられていただろうか」
「……」
高尾が手で顔を覆いかくす。
「高尾。返事をしろ。おまえは、どう思っているのだよ。オレに不満はあるか。恋人としてオレは失格か?」
畳みかけるように問いを重ねる。しかし、一向に答えが返ってくる気配がない。
「高尾」
「……」
答えがないのに焦れて、高尾の顔を隠している邪魔な手のひらをなかばむりやり引きはがす。
「……高尾?」
高尾の顔はまるで茹でたように真っ赤だった。こんなの見たことがない、と緑間は目を丸くする。部活で必死になって走っているときも、激しく抱き合っているときでさえも、ここまで赤くなることはなかった。
「具合が悪いのか? 熱でもあるのか」
「…………」
「そうか。待っていろ、今アイスノンと薬を持ってくるのだよ」
ベッドから起き上がり、必要なものを取りに行くため、緑間は部屋を出た。話が途中なのは惜しいが、しかたがない。高尾の体調が優先だ。
ドアを閉める瞬間、「しぬ」という声が聞こえたような気がしたが、気のせいだったかもしれない。
(人事を尽くすのだよ)
果たして明後日の方向を見据えたまま、緑間は恋人としてのさらなる人事を尽くすため、鼻息荒く階段を降りていくのだった。
2018.12.3