ふと肩に重みがかかるのを感じて、緑間は読んでいた本から顔を上げた。
視線を横にやり、ななめに傾いている高尾の頭が肩に乗っかっているのを確認する。ついさっきまでテレビを見てけらけらと笑っていたのに、いつのまに眠ったのだろう。
「……まったく。酒を飲みすぎなのだよ」
年明けの瞬間にちゅーしようぜとふざけていた恋人の寝顔は、子どものようにあどけない。まだ赤い頬を指先で擦ってやると、ううんとむずがるような抗議の声が返ってきて、緑間は小さく笑った。
緑間の家では、年越しはもっと厳粛なものだった。大みそかの日は家じゅうをきちんと掃き清め、家族そろって年越しそばを食べて除夜の鐘を聞き、日の出を拝みながら初詣に出かけるのが習慣だった。こんなふうにこたつの中でだらだらとテレビを見ながら零時を迎える大みそかなど、高尾と暮らすまでは想像もしなかった。
肩に乗った高尾の頭が落ちないようにゆっくりと部屋を見回す。明るいオレンジ色ソファ。部屋の広さを考えるとやや大きすぎるテレビ。ナントカマンといったか、よく知らないキャラクターが描かれたマグカップ。こたつ。緑間の趣味ではないものがずいぶんと占拠しているこのリビングが、確かに今の緑間の帰るべき場所だ。中学生ぐらいの自分が見たらきっと憤慨するだろう。くつろいで心身を整えるための場所に、他人の好みを入れ込むなど言語道断、人事を尽くしていないのだよ――などと言って。
フン、と脳内にいる幼い自分を鼻で笑う。おまえはまだまだ青いのだよ。愛する人の気配が息づく部屋でくつろぐ幸せを知らんのだからな。
キッチンカウンターの隅に並べられたフィギュアに視線を移す。高尾が酔うと必ず持ち帰ってくるカプセルフィギュアたち。真ちゃんこーゆーの好きだろーと言っていそいそとカプセルを開封する高尾の姿を見ていると、心臓をきゅっと掴まれたような心地になる。緑間はラッキーアイテムを蒐集しているだけで、ああいうフィギュアを好んでいるわけではないのだが、しこたま酒を飲んでぐらぐらになった頭でも自分のことを考えているらしい高尾がひとりガチャガチャを回している姿を想像すると愛おしい。
バカめ。微笑みながら寝こけている頬をつまむ。存外きめの細かい肌はさわり心地がとてもよく、三十手前になってもすべすべとなめらかだ。肌をほめられるのはなぜか恥ずかしいらしく、そう言うと茶化されるかむくれられるかのどちらかなのだが。そうだ、抱き合っているときに言ってみるのもいいかもしれない。思いついて緑間は笑みを深める。はだかになってあられもない格好をし、快楽に翻弄されているような取り繕えない状態で高尾がどんな顔をするのか見てみたい。趣味悪いぜ真ちゃんと言われるだろうが、今度やってみよう。
それにしてもよく寝ている。ずいぶんと気持ちよさそうな顔をしているのでこのままベッドに連れて行ってやりたいところだが、今夜はだめだ。ずっと心に決めていたことを実行するのだから。
「……高尾。起きるのだよ、高尾」
そっと肩を揺らしても恋人は起きない。しかたないとため息をついて、熱をもったふにゃふにゃの頬をごく軽く叩くと、ようやく目が開く。ゆっくりと橙が現れる様は、すこし日の出に似ている。
「んぁ……オレねてたー……?」
ふ、と笑いながら唇を重ねる。酒の匂いが残る唇をやわらかく食み、ちゅっと音を立てながら離すと、つけっぱなしのテレビがにぎやかに「あけましておめでとうございまーす!」と叫んだ。
「しんちゃん……?」
新年、最初に言うことばはもうずっと前に決めている。見ていろ高尾。年明けの瞬間にキス、などというおまえのかわいらしいアイディアより、オレはさらに上をいくのだよ。
「――オレと結婚するのだよ、和成」
とろとろとまどろんでいた瞳はそのことばを受け止めきれずにぽやんとしていたが、しだいにはっきりと焦点が定まっていく。
「……え、あ?」
「ずいぶんとまぬけな返事なのだよ」
「いや、えーと、今オレプロポーズされた?」
「そうだ」
「ぶっは! 寝起きにプロポーズしかも新年一発! あいてっ」
笑った拍子に高尾のからだがこたつの天板にぶつかる。乱雑に並べられていたビールの空き缶ががらんがらんと音を立てて転がり、高尾はあわてて起き上がった。
「やべやべ、ビールこぼれなくてよかった」
「新年からおまえはやかましいな」
「……結婚、てさ。養子縁組とかそーゆーの?」
なにげないふうを装っているが肩に力が入っている。どうやらきちんと気持ちは伝わったようだ、と緑間はゆったり微笑んだ。
「いや、そうではないのだよ。苗字を変えるとなるとおまえも何かと面倒だろう」
へ? と高尾が不思議そうに瞬きをする。
「じゃあどゆこと?」
「おまえはオレの伴侶で、オレはおまえの伴侶で、生涯添い遂げる。今年からはそういう心持ちで過ごすということなのだよ」
「……ふーん? なんか意外。そーゆーふわふわした感じ真ちゃん嫌いかと思ってた」
「まあ、そうだな。おまえに感化されたのだよ」
この部屋のように。こうあるべきと思い決めたことを貫くことも大切だけれど、相手の価値観を受け入れて吸収し、手を取り合って生きていくことも同じくらい大切だと、共に暮らした数年間で教わったのだ。
「んー。でも生涯添い遂げる心持ちで過ごすのが結婚、てならさ。オレもうとっくに結婚してたわ。おまえと」
高尾の返答に、今度は緑間が瞬きをする。
「……そうか」
「そーです」
ひひ、と笑う顔がかわいくてテレビを消す。たちまちシンとした空間でもう一度くちびるをふれあわせると、高尾はまた笑った。
「な、もっかい呼んで。和成って」
「……かず、なり」
「うひゃひゃ! なーんでここで照れるんだよ。ほんと真ちゃんおもしれーな、毎年飽きねーわ」
にぎやかなくちびるを今度はきちんとふさぐ。徐々に深くなっていくキスに、思考がしだいにとろけていく。
「ぅ、……真ちゃん」
「なんだ」
「ちゃんと返事、してなかった。オレ、おまえと結婚する」
照れてはにかみながらの返事は反則だ。思わず抱きしめ、その勢いで押し倒すと低い笑い声が聞こえた。ふしだらな元日になりそうだ。そう思いながら、高尾の服に手をかけた。
2022.1.2
ブーストお礼