※夢小説かもしれません。
「ようこそお越しくださいました
にこやかに出迎えられ、私はほっと肩の力をゆるめた。よかった。ぎりぎりの飛び込みで予約したから、本当に部屋が取れているか不安だったのだ。
「お疲れでしょう」
橙色の着物を着た仲居さんに案内されて長い廊下を歩く。そこそこ古びた、感じのいい旅館だ。建物全体に陽の光が差し込んでいて明るいし、塵ひとつなく清潔だ。これは大当たりかもしれないと心の中で喝采をあげる。疲れに疲れて、もうどこでもいいからどこかに行きたいと新幹線に飛び乗り、適当に電車を乗り継いでたどりついたまったく知らない土地で、こんなに素敵な旅館にめぐりあえるなんて。
「こちらのお部屋はいかがですか」
わあ、と思わず歓声をあげてしまう。通された部屋は広い和室で、あちこちにかわいい調度品が飾られていた。
カエルの置物に狸の信楽焼、くまのぬいぐるみ、東京タワーの模型。なんだか一貫性がないけど、不思議と調和がとれている。部屋全体が緑色で統一されているせいかもしれない。
「庭広いですね……!」
窓からは綺麗に手入れされた草木が風に揺れているのが見えた。檜の浴槽らしきものまである。あれ、室内露天風呂つきだなんて、そんなにいい部屋予約したっけ。
不安になって振り返ると、つややかな黒髪をきらきらなびかせて仲居さんが微笑んだ。
「今日、予約がほかにないので。いちばんいい部屋にしちゃいました」
「え、そんな。いいんですか?」
「お客さん、かなりお疲れみたいなんで。こんな田舎まで来てくれたんだし、しっかり癒されて帰ってください。夕飯も腕によりをかけるんで、期待しててくださいね!」
優しいいたわりの言葉に思わず涙ぐみそうになる。男の仲居さんなんてめずらしいけど、断言できる。ここは世界一の旅館だ。
「失礼します」
低い声に振り返るとものすごく背の高い男の人がいる。深緑の着物姿だから、たぶんこの人も旅館のひとなのだろう。
「お汁粉をお持ちしたのだよ」
「え? お汁粉?」
「うち、お茶とお菓子のかわりにお汁粉をお出ししてるんです」
「は、はあ……変わってますね」
「味は世界一だとオレが保証するのだよ。なんせ和成の手作りだ」
「もう、真ちゃん! お客さんのまえでそーゆーこと言うなって!」
ぶわりとハートの嵐が巻き起こったのはたぶん錯覚ではない。
常日頃なら殺意を覚えるであろう他人のラブラブムードは、どういうわけか私の心にじんわりとあたたかく染みていく。
夫婦経営の旅館、いいよね。いいよね、ふたりのこだわりが随所に詰まったラブラブ旅館……。
遠い目をする私の前で、仲居さんと旦那さん(暫定)はしだいにいちゃいちゃ度合いを増していくのだった……。
2020.9.21